火曜日, 8月 11, 2026

国産CPU「FUJITSU-MONAKA」を読み解く——70B対応の根拠、Arm AGI CPUとの競合、ソブリンAI市場での勝算

富士通が開発中の次世代CPU「FUJITSU-MONAKA(モナカ)」は、まだ1個も市場に出荷されていない。それにもかかわらず、この2nmチップは日本の半導体戦略とAIインフラ論の中で異様に大きな存在感を放っている。理由は単純で、NVIDIAのGPUが世界のAI計算基盤をほぼ独占する状況に対して、「CPUだけで70Bクラスの大規模言語モデルを扱える」という数字が独り歩きしているからだ。

この主張がどこまで実証されたものなのか、そしてそれが本当に競争力につながるのかを検証するに値する理由は、単なる新製品スペックの話にとどまらないところにある。MONAKAは経済産業省傘下のNEDOグリーンイノベーション基金の支援を受け、スーパーコンピュータ「富岳」の後継機「富岳NEXT」の心臓部にも据えられる、国家的な半導体自立戦略の中核部品でもある。ソブリンAI(自国で管理・運用できるAI基盤)という政策的な追い風の中で、この国産CPUがどこまで戦えるのかは、富士通一社の話にとどまらない意味を持つ。

結論を先に書く。MONAKAの確定仕様(144コア/ソケット、2nm+5nmの3Dチップレット、12チャネルDDR5、2027年出荷)はすでに固まっている。一方で「70Bパラメータ級モデルに対応」という話は、実測ベンチマークではなく2025年12月の欧州クラウド事業者Scalewayとの提携発表に基づく能力表明であり、トークン生成速度などの絶対性能はいまだ一切公開されていない。MONAKAの勝ち筋は「GPUより速い」ことではなく、大容量メモリ・電力効率・空冷可能な設計・国産という4点を武器に、日本国内のソブリンAI需要と欧州のデータ主権需要を取りにいくことにある。最大のリスクは、Arm自身が「AGI CPU」という名で同じ土俵に自社シリコンを投入し始めたことも含め、CPUベースのAIインフラ市場そのものが2026年に入って急速に混雑してきたことだ。

本記事で扱うFUJITSU-MONAKAは2026年8月時点で未発売のCPUである。性能・電力効率に関する数値の大半は富士通が掲げる開発目標、あるいは搭載メモリ規格から算出した第三者推定であり、実機での測定値ではない。文中では「公式発表の確定仕様」「富士通の目標値」「第三者推定」「メディア報道(未確定)」を区別して記載する。将来の市場見通しに関する記述は筆者の推定であり、精密な予測ではない点をあらかじめお断りしておく。

1. FUJITSU-MONAKAとは何か——確定している仕様

MONAKAは、Armv9-Aアーキテクチャに基づき、Arm SVE2(Scalable Vector Extension 2、ベクトル幅256bit)を演算に用いるデータセンター向けCPUである。1ソケットあたり144コアを搭載し、デュアルソケット構成では最大288コアまで拡張できる。メモリは12チャネルのDDR5、I/OはPCIe 6.0(CXL 3.0対応)。Arm CCA(Confidential Compute Architecture)による機密計算にも対応し、空冷・水冷の両方で運用できる設計になっている。開発は経済産業省・NEDOの「グリーンイノベーション基金事業/次世代デジタルインフラの構築」の一環である「次世代グリーンデータセンター技術開発」プロジェクトの支援を受けており、富士通はNEC、アイオーコア、キオクシア、京セラなどと共に2022年2月にこのプロジェクトへの採択を受けている。プロジェクト全体の目標は、2030年までに開発開始時点で普及していたデータセンター比で40%以上の省エネを実現することだ。

最大の技術的な見どころはパッケージング技術にある。2026年2月、富士通はBroadcomの3.5D XDSiP(eXtreme Dimension System in Package)プラットフォームを採用することを公表した。TSMCの2nm(N2)プロセスで製造される36コアの演算チップレットを4基用意し、これをTSMCの5nm(N5)で製造されるSRAM(キャッシュ)タイルの上にフェイス・トゥ・フェイスで積層し、ハイブリッド銅接合(HCB)で貼り合わせる。さらにこの4組の3D積層ブロックを、中央の大型I/Oダイ(メモリコントローラ、PCIe 6.0/CXL 3.0)とシリコンインターポーザ経由の2.5D接続でつなぐ。もっとも高価な2nmプロセスを演算ダイのみに限定することで、最先端プロセス面積の割合を全体の3割未満に抑えるコスト設計になっている点は、半導体解説メディアのChips and Cheeseも指摘している。2026年春にはこの実物ウェハとパッケージサンプルがPC Watchの取材で公開され、開発が計画通り進んでいることが示された。富士通の説明員によれば、エンジニアリングサンプルの提供開始は2026年夏頃、商用出荷は2027年度を予定している。

MONAKAは、スーパーコンピュータ「富岳」に搭載されたA64FX(Armv8-A、48コア、HBM2、TOP500で2020〜2022年に世界1位)の後継にあたる。ただし設計思想は大きく転換している。A64FXがHBM2を採用したシングルソケット・HPC特化型だったのに対し、MONAKAはHBMを採用せずDDR5に振り切り、デュアルソケットで汎用のデータセンター・AI・通信・エッジコンピューティングを幅広くカバーする設計になっている。富士通は2027年の出荷時点で、競合CPU比でアプリケーション実行性能・電力あたり性能とも約2倍を目標に掲げているが、これはあくまで開発目標値であり、実測のベンチマーク結果ではない。

開発ロードマップは以下の3世代で構成される。第1世代のMONAKA(2027年、2nm)はHPCと汎用AIを主用途とする。第2世代のMONAKA-X(2029年、1.4nm)では、サーバー級Armプロセッサとして世界初となるArm SME2(Scalable Matrix Extension 2)を実装し、NPU(AI専用アクセラレータ)をオンパッケージで統合する計画で、すでに富岳の後継機「富岳NEXT」への採用が決まっている。第3世代のMONAKA-XX(2031年)では、CPUとNPUを完全に融合させることを目指す。「MONAKA-X with NPU」を独立した別世代として扱う説明を見かけることがあるが、これは正確ではない。NPU統合はMONAKA-X(2029年)の段階ですでに計画に組み込まれている。

世代 時期 プロセス 主な特徴 位置づけ
MONAKA 2027年(出荷予定) 2nm+5nm 3Dチップレット 144コア/ソケット、SVE2、12ch DDR5 HPC・汎用AI・データセンター
MONAKA-X 2029年(製品化予定) 1.4nm サーバー級Arm初のSME2、NPU統合、NVLink Fusion 富岳NEXTに採用決定済み
MONAKA-XX 2031年(目標) 1.4nm以降 CPUとNPUの完全融合 次世代AI-HPC融合

2. 「70BクラスLLMに対応」という主張の中身

この数字の出所は一つしかない。2025年12月4日、富士通と欧州最大級のクラウド事業者Scaleway(フランス)が発表した戦略提携(MoU締結は同年11月27日)である。両社の公式発表文をそのまま要約すると、「特定の推論タスクにおける暫定試験の結果、従来手法と比較して電力効率が最大1.9倍、コスト効率が最大1.7倍に達し、MONAKAは最大700億パラメータのモデルを扱えることが示された」という内容になる。ここで注意すべき点が3つある。第一に「最大」(up to)という上限値の表現であること。第二に「特定の推論タスク(selected inferencing tasks)」という限定がついていること。第三に「暫定試験(preliminary testing)」であり、最終シリコンではなく評価用のプロキシ環境での測定である可能性が高いことだ。トークン生成速度やレイテンシといった絶対的な性能値は、この発表を含め富士通から一切公開されていない。

では技術的に何が70Bクラスの推論を可能にするのか。LLM推論のうちトークン生成(デコード)段階はメモリ帯域に律速される処理であり、70Bパラメータのモデルは重みだけでINT8量子化時に約70GB、FP16時に約140GBのメモリを必要とする。MONAKAは12チャネルのDDR5を採用しており、GPUのVRAM容量(NVIDIA H100で80GB、H200で141GB)という1枚あたりの制約を受けずに、大容量メモリを比較的安価に確保できる。第三者の推定では、DDR5を1DPC(1チャネル1枚)でフル実装した場合の理論上の最大容量は1ソケットあたり約3TBに達するとされる(Tom's Hardware、2024年12月時点の記事)。ただし富士通は採用するDDR5の速度規格を公式には明らかにしておらず、メモリ帯域についても同時期のChips and Cheeseの試算で「DDR5-6400を仮定すれば600GB/s超」、Tom's Hardwareの試算で「460〜844GB/s程度」という幅のある推定値が出ている段階にとどまる。参考までに、NVIDIA GraceのLPDDR5Xは約1TB/s、H100のHBM3にいたっては3.35TB/sを超える帯域を持つ。つまりMONAKAのメモリ帯域はGPUのHBMには遠く及ばず、これがCPU推論のトークン生成速度における根本的な制約になる。

この制約を踏まえると、MONAKAの現実的な立ち位置が見えてくる。GPUに対して「トークン/秒」の絶対速度で優位に立つことは原理的に難しい。差別化の軸はそこではなく、(1)ソケットあたりの大容量メモリでモデル全体を1台に収められること、(2)電力効率と空冷可能性によるデータセンターの電力・冷却制約の緩和、(3)TCO(総所有コスト)の最適化、(4)国産CPUとしてのデータ主権・ソブリンAI適合性、の4点にある。富士通自身もNVIDIAとの提携文脈で、GPUを置き換えるのではなく「CPUが推論オーケストレーションや周辺処理を担い、GPUが大規模な学習・推論本体を担う」という役割分担を前提とした説明をしており、MONAKAはGPUの代替ではなく補完として位置づけられている。

3. AI活用における想定ユースケース

  • 企業向けAIエージェント基盤——2025年10月3日、富士通はNVIDIAとの提携拡大を発表し、自社のAIエージェント基盤「Kozuchi」をNVIDIA Dynamo・NeMo・NIMと統合するフルスタック構想を示した。MONAKA CPUとNVIDIA GPUをNVLink Fusionで密結合し、ヘルスケア・製造・ロボティクスなど業種特化のAIエージェントをまず日本国内で、その後グローバルに展開する計画である。
  • ソブリンAI・行政AI基盤への波及可能性——日本政府は2026年3月、デジタル庁が開発した「ガバメントAI 源内(げんない)」の全府省庁約18万人規模での実証を開始し、同年4月にはOSSとして公開している。こうした国産・自国管理型AI基盤への政策的需要が高まっていること自体は事実だが、現時点でMONAKAがこの源内や産総研の計算基盤に採用されたという公式発表は存在しない。あくまで戦略的な親和性の指摘にとどめておくべきだろう。
  • 製造業のAIサロゲートモデル(CAE高速化)——富士通とタイヤメーカーのDUNLOP(住友ゴム工業)は、タイヤの構造解析にAIサロゲートモデルを適用する共同検証を行っている。従来のFEM(有限要素法)解析と比較して計算時間を約45分から約5分に短縮(約9倍高速化)し、接地形状の予測精度は平均87.7%を達成したと発表されている。これとは別に、流体解析分野でもAIサロゲートモデルがOpenFOAMによるHPCシミュレーション比で約5倍の高速化、精度91.1%を達成したことが富士通のISC2026向け資料で示されている。両技術はMONAKAの試作機を用いた検証を2026年12月までに開始する計画で、DUNLOPは2027年4月までの実運用開始を目指すとしている。
  • 機密性を要するオンプレ・エッジ推論——Arm CCAによる機密計算に対応しているため、金融・医療・行政分野でのデータ保護と、空冷で運用できる柔軟性を組み合わせたオンプレミス/エッジでのAI推論に向くとされる。

4. AI以外の用途

MONAKAの用途はAI推論に限らない。もっとも確度の高い非AI用途は、富岳の後継機「富岳NEXT」である。2025年8月22日、理化学研究所・富士通・NVIDIAは共同でこのプロジェクトを発表した。開発予算は1,100億円超(約7.4億ドル)、2029年に神戸のポートアイランドへ搬入、2030年の稼働開始を目指す。富岳と比べてハードウェアで約5倍、ソフトウェア最適化で10〜20倍、合計で実アプリケーション性能約100倍を目標に掲げ、AI性能(FP8精度・sparse)で600エクサFLOPS超という「ゼッタスケール」を標榜する。この数字はFP8ベースのAI性能指標であり、従来のTOP500基準であるFP64演算性能とは尺度が異なる点に注意が必要だ。電力枠は富岳と同じ約40MWに据え置く計画で、CPUにはMONAKA-Xが採用され、NVIDIAのGPUとNVLink Fusionで接続される。理化学研究所が開発主導、富士通が設計契約を担い、NVIDIAがGPUを供給する体制である。

富士通は公式にMONAKAを「データセンター、通信、エッジコンピューティングまで」対応する汎用プロセッサと位置づけている。データベースなど一般的なエンタープライズワークロードでのTCO最適化を掲げているが、具体的な性能倍率については公式ベンチマークが公開されておらず、この記事では数値を伴う主張は避ける。通信・5G基盤事業(1FINITYなど)との親和性についても、富士通は同事業を展開しているが、MONAKAとの具体的な統合実績はまだ確認できていない。

5. 競合ポジショニング

MONAKAが実際に出荷される2027年には、Armベースのデータセンター向けCPU市場はすでに相当に混雑している。2025年末から2026年前半にかけて、NVIDIA Grace系、Arm自身の「AGI CPU」、AWSのGraviton5、MicrosoftのAzure Cobalt 200といった有力製品が相次いで発表・一般提供されており、MONAKAはこの「後発」というハンディを負って市場に参入することになる。

項目 FUJITSU-MONAKA NVIDIA Grace Arm AGI CPU AWS Graviton5
コア 144(デュアルソケットで288) 72(Superchipは144) 最大136(2ダイ) 192(4チップレット)
コアIP/プロセス Armv9-A・SVE2/TSMC 2nm+5nm Neoverse V2/TSMC 4nm Neoverse V3/TSMC 3nm Armv3世代コア/TSMC 3nm
メモリ 12ch DDR5(速度未公開) LPDDR5X、約1TB/s 12ch DDR5-8800、800GB/s超 DDR5-8800、L3キャッシュ192MB
出荷状況 2027年出荷予定(未発売) 出荷中(2023年〜) 2026年3月発表、下期より本格出荷 2026年6月一般提供開始
外販の有無 CPU単体・サーバー方式で外販予定 外販(サーバーメーカー向け) 外販(Meta主導、他社にも提供) AWS内製・自社クラウド専用

NVIDIA Graceは、すでにGrace HopperやGrace Blackwellといったスーパーチップとして市場に浸透しており、CUDAエコシステムとの統合という圧倒的な強みを持つ。ただし富士通はGraceを単純な敵として扱っているわけではなく、NVLink FusionによるCPU-GPU連携という形でNVIDIAとの協業を選んでおり、MONAKAはGraceの直接的な代替というより、NVIDIA陣営の中の「もう一つの選択肢」というポジションを取りにいっている。

より注視すべきはArmの「AGI CPU」だ。2026年3月24日、Arm社は35年の歴史で初めてとなる自社設計・自社製造の完成品シリコンとして「AGI CPU」を発表した。Meta社が主導パートナーとして共同開発し、Neoverse V3コアを最大136基(2ダイ構成)搭載、TSMCの3nmプロセスで製造され、全コア稼働時3.2GHz・ブースト時3.7GHz、TDP300W、12チャネルのDDR5-8800で800GB/s超の集約帯域、PCIe Gen6を96レーン、CXL 3.0に対応する。OpenAI、Cloudflare、Cerebras、SAP、SK Telecomなども導入パートナーに名を連ねる。AGI CPUはLLM推論そのものというより「エージェント型AIのオーケストレーション」(アクセラレータの管理、スケジューリング、データ移動)に特化した設計であり、MONAKAが狙う汎用データセンター+AI推論という守備範囲とは重なりつつもズレがある。ただしArmがIPライセンスビジネスから完成品シリコン販売へと踏み出したこと自体が、MONAKAにとっての競争環境を一段と厳しくする材料であることは間違いない。

ハイパースケーラー各社の内製Armチップ——AWS Graviton5(192コア、2026年6月一般提供開始)、Google Axion、Microsoft Azure Cobalt 200(132コア、2026年提供予定)——は、いずれも自社クラウド専用で外販されないため、MONAKAの直接競合というより「CPUがAI関連処理を担う」という業界トレンドの傍証と見るべきだろう。ただし、クラウド最大手が軒並みArmベースの自社設計に舵を切っている事実は、MONAKAが外販で食い込める余地を相対的に狭めている面もある。x86陣営(AMD EPYC、Intel Xeon 6のAMX拡張)は、すでに巨大なソフトウェア資産とISVサポートを持つ既存勢力であり、MONAKAにとって最大の実務上の障壁になるのはこの部分だろう。なお富士通はAMDとも2024年11月にMoUを締結しており、MONAKA CPUとAMD Instinctアクセラレータを組み合わせたプラットフォームを2027年までに共同開発する計画を持つ。NVIDIA一辺倒ではなく複数のGPUベンダーと組む「両にらみ」の戦略を取っている点は特筆に値する。

6. 市場見通し——国内と海外

もっとも確度の高い市場は日本国内である。2026年2月12日、富士通は経済安全保障推進法における特定重要インフラ事業者向けを念頭に置いた「国産ソブリンAIサーバー」の生産開始を発表した。石川県かほく市の笠島工場で、まず2026年3月からNVIDIA HGX B300やRTX PRO 6000 Blackwellを搭載したサーバーの生産を開始し、基板組み立ては同年6月から始める。MONAKA搭載サーバーについては2026年度中(2027年3月末まで)の生産開始を目指すとしている。一方、2026年8月のダイヤモンド編集部の取材によれば、MONAKAチップ自体のTSMCでの量産開始は2027年3月末、出荷は同年4月とされている。チップの量産開始とほぼ同時に搭載サーバーの生産も立ち上げる計算になり、かなりタイトなスケジュールであることは念頭に置いておいたほうがよい。富士通はSupermicroとの協業を拡大し、AIサーバーの企画・開発・製造・販売・保守を一貫して提供する体制を敷いている。

海外では欧州が最初の橋頭堡になりそうだ。Scalewayとの提携は、GDPRを含むデータ主権規制と脱・NVIDIA依存への関心が強い欧州市場を念頭に置いたもので、2026年後半にはPoC(概念実証)が始まる見込みとされている。一方、米国・中国市場はNVIDIA、x86、ハイパースケーラーの内製チップが支配的であり、実績のない国産CPUがブランド認知・ISVサポートの面で食い込むハードルは高い。富士通・NVIDIA・AMDとの提携網、そしてSupermicro経由のグローバル展開が現実的な進出経路になるだろう。富岳NEXTという公共調達のアンカー案件を持っていることは、実績づくりの観点で大きな意味を持つ。

7. リスクと注視すべきポイント

  • 絶対性能値が一切非公開——トークン/秒、レイテンシ、実測メモリ帯域、実測消費電力のいずれも公開されていない。「1.9倍」「1.7倍」「70Bパラメータ対応」という主張はすべて相対値・能力表明であり、実際の性能水準は2026年後半のPoC結果を待つ必要がある。
  • ソフトウェア・ISVエコシステムの成熟度——x86陣営に対する最大のハンディはここにある。llama.cppやvLLMなど主要な推論エンジンへの最適化は進められているが、商用ISVの対応状況や開発者コミュニティの厚みは未知数である。
  • Rapidusへの生産委託は未確定——次世代のMONAKA-X(1.4nm世代)について、富士通副社長CTOのヴィヴェック・マハジャン氏は「なるべく国内で生産したい」としてRapidusへの委託を優先的に検討していると述べているが、2026年内の委託先決定を目指す段階にとどまり、TSMCも引き続き候補に残っている。「Rapidus委託が有力」と断定するのはまだ早い。
  • 市場そのものの混雑——Arm自身のAGI CPU参入、ハイパースケーラー各社の内製Armチップの相次ぐ一般提供により、MONAKAが2027年に出荷される頃には、CPUベースのAIインフラ市場はすでに複数の有力プレイヤーが存在する状態になっている。

まとめ

FUJITSU-MONAKAの確定仕様は野心的だ。2nm+5nmの3Dチップレット、144コア、12チャネルDDR5、空冷対応という組み合わせは、日本の半導体産業が久しく手にしていなかった最先端プロセスへの挑戦であり、それ自体に価値がある。一方で「70BクラスLLMに対応」という象徴的な数字は、2025年12月の提携発表に基づく能力表明の域を出ておらず、実測ベンチマークが公開されるまでは慎重に扱うべき情報だ。MONAKAの現実的な勝ち筋は、GPUとの速度競争ではなく、大容量メモリ・電力効率・空冷可能性・国産という属性を武器に、日本国内のソブリンAI需要と経済安全保障政策、そして欧州のデータ主権需要を取りにいくところにある。富岳NEXTという実績づくりの場を持っていることも強みだ。ただし、Arm自身のAGI CPU参入に象徴されるように、CPUベースのAIインフラという土俵そのものが2026年に入って急速に混み合ってきている。2026年後半に予定されるScalewayでのPoC結果、そして2027年の実出荷後に初めて公開されるはずの実測ベンチマークが、この主張の実力を判断する最初の材料になるだろう。

参考:富士通 FUJITSU-MONAKA公式ページScaleway・富士通提携発表The Register(Broadcom 3.5D XDSiP)富岳NEXT発表(DCD)Arm AGI CPU発表

月曜日, 8月 10, 2026

自動運転の現在地、2026年8月版——Waymo・Teslaは踊り場、日本はティアフォー上場

自動運転はまだ「実証実験の技術」なのか、それとも「回っているビジネス」なのか。この境界線が2026年に入って急速にはっきりしてきました。米Waymoは2月に160億ドルを調達して企業価値1,260億ドルに達し、週50万回超の有料乗車を捌くようになりました。米Amazon傘下Zooxは本日8月10日、Las Vegasで初の有料サービスを開始します。日本でも自動運転OS「Autoware」を手がけるティアフォーが7月22日に東証グロース市場へ上場し、トヨタが資本参加するなど、資金と実装の両面で動きが加速しています。

一方で、8月に入って見えてきたのは「拡大は続くが、成長カーブは踊り場に入りつつある」という別の顔です。WaymoはQ1(3月時点)で週50万回に到達した後、7月22日のQ2決算でも同じ「50万回超」という表現にとどまり、四半期を通じた伸びはほぼ横ばいでした。Teslaも展開都市こそ7都市に増えましたが、有料走行距離の四半期増分はQ1・Q2でほぼ同じ約90万マイルです。情報が錯綜しやすい分野でもあり、企業の目標値と実績値が混同されがちなため、本稿は主要な数値・日付を一次情報(各社発表、NHTSA・国交省等の公的資料、Reuters・Bloomberg・CNBC等の一次報道)で照合したうえでまとめています。

結論を先に書くと、無人商用サービスとして実際にスケールしているのはWaymoと中国勢(Baidu Apollo Go等)のみという構図は変わっていません。Teslaはカメラのみのアプローチで7都市に展開エリアを広げましたが、実働台数と稼働率の低さは解消されていません。日本は東京・横浜で複数陣営が助走を続ける一方、地方の先行事例だった永平寺町の運休は8月時点でも解消していません。

本稿には各社の目標値・市場予測など将来に関する記述が含まれます。これらは各社・調査機関による見通しであり、確定した実績ではありません。特にTeslaの展開時期については過去に複数回未達の実績があるため、宣言と実績を区別して記載しています。

1. Waymo:拡大は続くが、Q2は「横ばい」

Alphabet傘下のWaymoは2026年2月、160億ドルの資金調達を発表し、企業価値は1,260億ドル(post-money)に達しました。Dragoneer Investment Group、DST Global、Sequoia Capitalが主導し、Alphabetが引き続き筆頭株主です。2024年10月のシリーズCラウンド(5.6億ドル調達、評価額450億ドル)からわずか1年強で評価額が2.8倍になった計算になります。

運行実績は2026年3月26日時点で米国10都市で週50万回を突破し、7月8日にはSan Diego・Las Vegas・Tampa・Denverの4都市を追加しました。ただし7月22日のQ2決算でAlphabetが用いた表現は3月時点と同じ「週50万回超」で、四半期を通じた伸びはほぼ横ばいだったことになります。共同CEOのTekedra Mawakana氏は年内に週100万回への到達を目標として掲げていますが、独立系分析(FutureSearch、2026年8月6日更新)ではこのQ2の足踏みを反映し、年末時点の中央値予測を77.5万回から76.5万回へ下方修正しています。フリート規模は約3,700台です。

2026年5月には新型車両「Ojai(オーハイ)」の投入も始まりました。中国Geely傘下Zeekrが製造した車体にWaymoの第6世代システムを搭載したもので、5月28日からSan Francisco・Los Angeles・Phoenixで無料試乗を開始し、7月29日にPhoenixで初の有料サービスに移行しています(カリフォルニア州では新型車両への課金にCPUCの追加承認が必要なため、有料化はアリゾナ州が先行しました)。米国のロボタクシーの主力車両が中国メーカー製という点は、サプライチェーンの観点からも今後の論点になりそうです。なお5月末には、工事帯での走行に課題があるとして一部都市で高速道路サービスを一時停止しており、再開時期は明示されていません。

安全面では2025年に複数のリコールが発生しています。5月には低速でのゲート・チェーンへの衝突を理由に1,212台、その後高速道路の工事帯進入を理由に約3,900台、12月にはスクールバスの追い越し違反を理由に3,067台のソフトウェア・リコールを実施しました。スクールバスの件は、テキサス州オースティンとジョージア州アトランタの学区がそれぞれ19件・6件の違反を確認したことを受けたもので、NHTSAが調査に着手した経緯があります。負傷者は報告されていません。

もう一つの弱点は非常時対応です。2025年12月20日、サンフランシスコで大規模停電が発生した際、信号が消えた交差点でWaymo車両が1,500回以上立ち往生し、64台をレッカー移動で回収する事態になりました。2026年7月4日の独立記念日花火大会でも渋滞でバッテリーが枯渇し、複数台がレッカーされています。同年7月18日の別の停電では、事前にサービスを約1時間停止する対応を取り、教訓が生かされつつあることも報じられています。サンフランシスコ市議会はこの問題を巡って公聴会を開き、救急対応部隊への負担について懸念を表明しました。

日本については、日本交通・GOとの戦略的提携(2024年12月発表)に基づき、2025年4月から東京都心7区(港・新宿・渋谷・千代田・中央・品川・江東)で公道走行を開始しています。2026年3月27日の東京メディア説明会では、トヨタ自動車との自動運転車両の共同開発を模索していることも明らかにされ、最高製品責任者のパニグラヒ氏は「東京でのローンチは数カ月以内に実現し得る」と発言しました。ただし8月時点で無人サービスの正式な開始時期は公表されておらず、訓練を受けた日本交通の乗務員が同乗する形での走行が続いています。

2. Tesla:都市は7つに増えたが、車両は増えていない

Teslaは2025年6月にオースティンでロボタクシーを開始しました。当初はModel Yに安全要員を同乗させる形態で、Muskは年末までにオースティン500台・ベイエリア1,000台超という目標を掲げていましたが、実際の稼働台数はオースティン約42台、ベイエリア約130台にとどまり、大半が安全要員付きでした。

2026年に入ってからは都市展開が加速しました。4月にDallas・Houston、7月3日にMiami、7月21日にはOrlando・Tampaが加わり、8月時点でテキサス・フロリダ2州とベイエリア(カリフォルニア州、安全要員付き)を合わせた7市場で展開しています。フロリダ州が自動運転車に州単位の一括ライセンスを発給しているため、都市ごとの許認可を経ずに短期間で3都市(Miami・Orlando・Tampa、7月3日から21日までの18日間)を追加できた経緯があります。

しかし車両規模はほぼ増えていません。7月22日時点の無人(安全要員なし)車両は全展開都市を合計しても約21台(Austin約17台、Dallas約4台)で、Orlando・Tampaの車両数は公表されていません。Q2決算でTeslaは「有料ロボタクシー走行距離が累計240万マイルに達した」という累積グラフを示しましたが、これを四半期ごとに分解すると、Q2の増加分は約90万マイルでQ1とほぼ同じであり、伸び率は横ばいだったことになります。稼働率についても、2026年2月時点の調査でオースティンでの稼働率(サービス提供時間の割合)はわずか19%、事故率は人間ドライバーの約4倍と報じられています。

Q2決算では、ロボタクシー車両のソフトウェアが最新版「FSD v15」に移行したことも明らかにされました。ハンドルもペダルも持たない専用車両Cybercabもオースティンで公道試験が始まっており(7月11日確認)、米運輸省がハンドル・ペダルなしの自動運転専用車に対するブレーキペダル要件の撤廃を提案するなど、規制面での追い風も出ています。ただしMuskは、車両の本格増強はFSD v15による安全性向上を見極めてからとしており、実質的な拡大は2026年末〜2027年初頭にずれ込む可能性が引き続き指摘されています。NHTSAはカメラのみに依存する設計の妥当性を含め、FSDの調査範囲を拡大しています。

3. 中国勢:許認可は再開、海外展開も継続

中国はロボタクシーの台数・累計乗車回数で世界最大規模です。Baidu Apollo Go(蘿蔔快跑)は2026年2月時点で累計乗車2,000万回超、武漢だけで完全無人車1,000台超を運行し、20都市超(海外はアブダビ・ドバイ・スイス)で展開していました。

しかし2026年3月31日夜、武漢でApollo Go車両100台超がクラウド障害により一斉に停止し、乗客が最大2時間車内に取り残される事態が発生しました。救援を求める車内の緊急ボタンやカスタマーサポートが機能しなかったとの報道もあります。これを受けて中国当局は4月29日、全国で新規の自動運転許認可(フリート増強・新規実証・新規都市展開)を凍結しました。Baiduの武漢での運行は調査終了まで停止され、Pony.ai・WeRideなど他社の既存フリートは通常運行を継続しましたが、両社の株価は発表直後にそれぞれ5.5%・4.7%下落しています。凍結は業界横断の安全審査完了を経て、6月末に審査が完了し、7月下旬から一部都市で許認可の発給が段階的に再開されています。

国内の凍結期間中も、海外展開は止まっていません。WeRideは7月9日、Uberとの提携でスイスにおける商用ロボタクシーサービスを開始したと報じられています。Pony.aiも2026年末までに1,700台超から3,500台への拡大計画を維持していると説明していました。

市販車のレベル3についても中国は前進しています。2025年12月15日、工業情報化部(MIIT)は一般乗用車として初めてレベル3の型式認可を発給しました。対象は長安汽車のDeepal SL03(重慶、渋滞時の単一車線走行で最高時速50km)とBAICのArcfox Alpha S(北京、高速道路の単一車線走行で最高時速80km)の2車種です。この認可リストにTeslaの車種は含まれていません。

4. Zoox・Wayve:新しい参入パターン

Amazon傘下Zooxは、ハンドルもペダルも持たない専用設計車両でLas Vegas・San Francisco・Austin・Miamiで無料の試験サービスを続けてきましたが、7月30日にNHTSAから商用運行の暫定適用除外(年間最大2,500台、2年間)を取得し、本日8月10日からLas Vegasで有料サービスを開始します。料金はUberの「コンフォート」クラス相当を想定しているとされています。同社は過去にソフトウェアのリコールを複数回実施しており、直近では緊急車両現場での煙検知に関する不具合で2026年7月に対応を行っています。

車両ではなく自動運転ソフトウェアそのものをライセンス提供する事業モデルとして注目されるのが英Wayveです。2026年2月25日、シリーズDで12億ドルを調達し(Uberのマイルストーン型追加出資を含むラウンド総額は15億ドル)、企業価値は86億ドル(post-money)に達しました。主導したのはEclipse、Balderton、SoftBank Vision Fund 2で、Microsoft・NVIDIAに加え、Mercedes-Benz・日産・Stellantisという自動車メーカー3社が新規に出資しています。創業以来の累計調達額はこのラウンドを含めて約28億ドルです。

Wayveの技術的な特徴は、高精細地図に依存せず単一のニューラルネットワークでカメラ映像から運転操作を直接生成する「エンドツーエンド」方式です。日産・Uberとの3社協業では、WayveのAI Driverを搭載した日産リーフを使い、2026年後半に東京で試験運行を開始する計画が3月12日に発表されており、NVIDIA DRIVE Hyperion搭載のプロトタイプ車両も同月のNVIDIA GTCで公開されました。8月時点で試験運行の具体的な開始日は未公表ですが、計画自体に遅れは報じられていません。

事業者 展開状況 規模の実績 直近の動き
Waymo 米国10都市超で商用無人運行 週50万回超(3月〜7月時点、横ばい)/車両約3,700台 新型車両Ojai投入、Phoenixで7月29日に有料化
Tesla 米7都市(TX3・FL3・CA1) 無人車両約21台(7月時点)/稼働率19% FSD v15移行、Cybercab公道試験開始
Baidu Apollo Go 中国20都市超+中東・欧州 累計乗車2,000万回超(2月時点) 武漢事故で許認可凍結(4月)→再開(7月)
Zoox Las Vegasで商用開始 年間最大2,500台の適用除外を取得 本日8月10日に有料サービス開始

5. 日本の現在地:ティアフォー上場と東京・横浜の助走

政府は「自動運転移動サービス」について、2025年度目途で50カ所程度、2027年度までに100カ所以上での実現を目標に掲げています(国交省資料)。この目標達成は容易ではなく、業界筋の見立てでも2025年度中の実現は二桁台にとどまる可能性が指摘されています。

国内初のレベル4事例だった福井県永平寺町の「ZEN drive」は、2026年4月1日以降当面の間運休となったまま、8月時点でも再開のめどは立っていません。町の発表によれば、車両・システムの保証と保守の期間が2026年3月末で満了することに加え、共同開発したメーカーの一部がレベル4プロジェクトから撤退したことが理由です。2023年5月の運行開始から約3年、事故によるものではなく「支える体制が続かなかった」という運用面の課題が表面化した形で、レベル4を地方で持続させることの難しさを示す事例といえます。

対照的に大きく動いたのが、自動運転OS「Autoware」を主導するティアフォーです。7月22日、東証グロース市場に上場しました(証券コード593A)。想定時価総額は約700億円で、2024〜2025年にいすゞ自動車・スズキ・JR東海・三菱商事から株式2,000円で調達した際の評価額(約921億円)を下回るダウンラウンドとなりました。2025年9月期の売上高は前期比65.6%増の64.1億円である一方、純損失は約48億円に達しており、黒字化には時間を要する段階です。上場に先立つ6月には、トヨタ自動車の投資子会社が1%・約10億円を出資したことも明らかになっています。同社はお台場エリアでのレベル4タクシー実証を続けています。

日産は横浜のみなとみらい・関内エリアで実証を重ねており、2025年11月27日〜2026年1月30日には安全要員同乗の車両5台による実証を実施しました。2027年度をめどに、3〜4市町村で遠隔監視型のレベル4サービス開始を目指すロードマップを描いています。Uber・Wayveとの3社協業では、WayveのAI Driverを搭載した日産リーフを使い、2026年後半に東京で試験運行を開始する計画です。Waymoは日本交通・GOとの提携で東京都心7区の走行データを蓄積中で、3月の説明会ではトヨタとの車両共同開発の模索にも言及しています。

6. 市場規模の見通し

Goldman Sachs Researchは、世界のロボタクシー市場が2035年に約4,150億ドルに達すると予測しています。米国市場だけで2030年に190億ドル(従来予測の70億ドルから上方修正)、2035年に480億ドルとしています。世界の商用フリートは2024年時点の約7,000台から2035年には約600万台に拡大すると見込まれ、垂直統合型事業者の粗利益率は30〜50%、10年間の累計粗利益は約4,400億ドルに達する可能性があるとしています。マイルあたりの総コストは2035年までに米国で1ドルを下回り、遠隔監視員1人あたりの車両比率も現状の6対1から26対1へ改善すると予測されています。自動運転トラック市場については、2028年に米国で人間運転よりコストが安くなり、2035年の世界市場規模は560億ドルに達するとの見立てです。

これらはあくまで予測であり、確定した数字ではありません。Waymo自身の週100万回目標がQ2の足踏みを受けて独立系分析で下方修正された点からも分かる通り、業界の目標値と第三者による実績見通しには常に一定の乖離があることを踏まえて読む必要があります。

まとめ

2026年度も中盤に差し掛かり、業界全体の輪郭がより鮮明になりました。無人商用サービスとして実際に回っているのはWaymoと中国勢のみという構図は変わっていませんが、その両者もQ2にかけて成長ペースの踊り場を経験しています。Waymoは新型車両Ojaiの投入と高速道路サービスの一時停止が同時に進み、規模拡大と品質担保のバランスに苦心する様子がうかがえます。Teslaは展開都市を7つに増やしたものの、車両規模と走行距離の伸びは実質的に横ばいで、宣言と実績の差は縮まっていません。中国は許認可が再開に転じた一方、海外展開(WeRideのスイス進出等)は国内の混乱の最中も止まりませんでした。

日本については、ティアフォーの上場という資本市場での一つの区切りがあった一方、永平寺町の運休は8月時点でも解消していません。東京・横浜では日産・Uber・Wayve連合とWaymoが2026年後半から2027年度にかけての実装を目指しており、この秋以降の動きが日本のレベル4普及ペースを左右する局面になりそうです。技術実証の成功と、それを長期的に支える体制づくりが別問題であることは、永平寺町とティアフォーという対照的な2つの事例が改めて示しています。

フィジカルAIの現在地と2026年後半の展望――主要プレイヤー・市場予測・押さえるべきキーワードを整理する

2026年に入ってから、「フィジカルAI(Physical AI)」という言葉を目にする機会が急激に増えた。この言葉を広めたのはNVIDIAのCEO、Jensen Huangである。彼はAIの進化を「知覚AI→生成AI→エージェントAI→フィジカルAI」という4段階で整理し、フィジカルAIをその最終段階、つまり現実世界を理解し、そこで実際に行動するAIと位置づけた。CES 2025では「フィジカルAIは50兆ドル規模の製造・物流産業を変革する」とまで言い切っている。

なぜ今このタイミングでこの言葉が急浮上したのか。理由は単純で、複数の技術要素がほぼ同時に実用レベルへ到達したからだ。視覚と言語と行動を一体で扱うVLA(Vision-Language-Action)モデル、環境の未来を予測する世界モデル、大規模なシミュレーション基盤、そしてロボットの「脳」を現場で動かすエッジ半導体――これらが2025年から2026年にかけて出揃い、「派手なデモ」から「実際に稼働させる」フェーズへの移行が現実味を帯びてきた。同時に、日本を含む各国政府がこの分野に巨額の政策資金を投じ始めており、産業政策としての色合いも強くなっている。

結論を先に述べておく。現時点の競争構造は「ハードウェアの量産では中国勢が先行し、AIの汎用性では米国勢が優位に立つ」という二層構造として整理できる。市場規模の予測は、Goldman Sachsの2035年380億ドルからMorgan Stanleyの2050年5兆ドルまで、機関によって一桁以上の開きがある。つまりこの分野はまだ「確定した未来」ではなく「幅のある予測」の段階にあるということだ。本稿では、フィジカルAIという概念の整理、主要プレイヤーの動向、技術を支える要素、実際の応用領域、日本の政策・企業動向、市場予測と資金の流れ、そして今後押さえておくべきキーワードを整理する。

本稿は2026年8月時点で公開されている情報に基づく。市場規模予測や各社の生産計画は、あくまで各企業・調査機関による見通しであり、確定した事実ではない。特に量産計画については、Teslaが2025年に掲げた出荷目標(5,000台)に対し実績が数百台にとどまるなど、過去に大幅な未達が繰り返されている。数値は幅を持って読んでいただきたい。

1. フィジカルAIとは何か

フィジカルAIという言葉に厳密な学術的定義があるわけではない。もっとも広く参照されているのはNVIDIAの整理で、「物理法則――摩擦、慣性、因果関係――を理解し、それに基づいて現実世界で知覚・推論・行動するAIシステム」を指す。ボールがどちらに転がるかを予測する、物を壊さない程度の力加減でものを掴む、車の陰から人が飛び出してくる可能性を推論する――こうした物理的な常識推論をAIに持たせ、それをロボットという「身体」に実装する、という発想である。

これは従来の産業用ロボティクスとは根本的に異なる。経済産業省の資料でも整理されているとおり、従来の産業用ロボットは、あらかじめ動作を細かくティーチング(教示)し、同じ作業を高精度に反復することを得意とする一方、事前に想定していなかった作業や非構造化環境への適応が苦手だった。フィジカルAIの発想では、基盤モデルがロボットに言語理解・常識推論・タスク計画という「脳」を与えることで、自然言語による指示や人間の動作の観察から新しいスキルを獲得できるようになる。「同じ作業を正確に繰り返す機械」から「予測不能な現実世界で判断しながら動く存在」への転換、というのが最も本質的な違いだ。

関連する概念も整理しておきたい。「Embodied AI(身体性AI、中国語圏では具身智能)」は身体を持つ知能全般を指す広い言葉で、フィジカルAIとほぼ同じ文脈で使われる。「世界モデル(World Model)」は環境の未来状態を予測・生成するニューラルネットワークで、NVIDIA Cosmosがその代表例だ。そして「VLA(Vision-Language-Action)」は、視覚情報と言語による指示を入力として受け取り、ロボットの具体的な動作を出力するモデルで、Googleの「RT-2」(2023年)を先駆けとして、OpenVLA、Physical Intelligenceのπ0、NVIDIAのGR00T、FigureのHelix、Google DeepMindのGemini Roboticsなど、各社が競って開発している。多くのVLAは「遅い思考(曖昧な指示を段階的な計画に変換するVLM)」と「速い動作(実際の関節を動かすアクションエキスパート)」の二層構造を採っている点に特徴がある。

2. 主要プレイヤーの動向

この分野の構図は「プラットフォーマーとしてのNVIDIA」「垂直統合を進める米国スタートアップ群」「基盤モデルに専念する研究者スタートアップ」「量産で先行する中国勢」に大別できる。それぞれ見ていく。

NVIDIAは、学習・シミュレーション・実行の三層すべてでロボティクスのインフラを提供しようとしている。2024年3月のGTCで「Project GR00T」としてヒューマノイド向け基盤モデル構想を打ち出して以来、Isaac GR00Tとしてオープンな基盤モデルの開発を継続している。ハードウェア面では、2025年8月25日にエッジAI向けの「Jetson AGX Thor」の量産モジュールと開発キットを一般提供開始した。Blackwell世代のGPUを採用し、最大2,070 FP4テラフロップスの演算性能と128GBのメモリを備え、消費電力は40〜130Wに収まる。開発キットは3,499ドルで、Boston DynamicsやFigure、Amazon Roboticsなどが採用している。ソフトウェア面では、世界の物理現象を学習した基盤モデル群「Cosmos」と、ロボット・工場全体のデジタルツインを構築する「Omniverse」を組み合わせ、大量の合成データを生成する仕組みを提供している。

Teslaの「Optimus」は、現行のGen 3が中核だ。2026年3月末には歩行の様子が確認され、50個のアクチュエータと22自由度を持つハンドは「量産を前提にした初めての設計」とマスク氏が説明している。Fremont工場の旧Model S/Xラインを転用したGen 3量産は2026年後半(夏〜秋)に開始予定とされ、専用工場となるGiga Texasでの本格量産は2027年の見込みだ。ただし2025年に掲げた出荷目標(5,000台)に対し、実際の出荷は数百台にとどまり、9割以上未達だったとされる。量産時の目標コストは2万〜3万ドルとされている。

Figure AIは、2025年10月に第3世代機「Figure 03」を発表した。身長約173cm、体重61kg、可搬重量20kg、移動速度1.2m/s、16自由度のハンドを持ち、無線給電に対応する。自社開発のVLA「Helix」を搭載し、OpenAIとのパートナーシップ終了後は完全に自社技術として運用している。BMWのスパルタンバーグ工場で先代機「02」を長期間稼働させ、2025年11月にパイロットプログラムを完了したと発表している。自社工場「BotQ」での量産は加速しており、2026年4月時点で90分に1台のペースに達したとされる。資金面では2025年9月にSeries Cで10億ドル超を調達し、ポストマネー評価額は390億ドルに達した(Parkway Venture Capitalが主導、Brookfield、NVIDIA、Intel Capital、Qualcommなどが参加)。第三者推計では2025年の実出荷台数は150台程度、Figure 03の現場投入台数は2026年4月時点で350台超という報道もある。評価額390億ドルはこれから見るとかなり先行した水準であり、元従業員による安全対策縮小を巡る訴訟も報じられている点は留意しておきたい。

Physical Intelligence(通称π、パイ)は、Google DeepMindやStanford、UC Berkeley出身の研究者(Sergey Levine、Chelsea Finn、Karol Hausman、Brian Ichterなど)が2024年に設立した企業で、特定のハードウェアに依存しない「1つのモデルであらゆるロボットを動かす」戦略を掲げる。VLA基盤モデルのπ0、π0.5、Hi Robotを開発している。資金調達は急速に進んでおり、シード7,000万ドル、Series A 4億ドル(評価24億ドル)を経て、2025年11月のSeries Bで6億ドルを調達し評価額は56億ドルに達した。2026年3月には、さらに10億ドル規模・評価額110億ドル超での調達交渉が報じられたが、これは報道段階の情報であり、2026年6月時点で正式なクローズは確認されていない。

Google DeepMindは2025年3月にVLA「Gemini Robotics」を発表し、6月にはネット接続なしで動作するオンデバイス版を公開した。9月には「考えてから動く」推論能力を強化した「Gemini Robotics 1.5」と、異なる身体間でのスキル転移に対応する「Gemini Robotics 2」を発表している。Apptronik、Boston Dynamicsといったハードウェアメーカーとの提携も進めている。

Boston Dynamicsは、2026年1月5日のCESで電動版「Atlas」の製品版を発表した。56自由度、触覚センサー付きの4本指グリッパーを備え、2026年生産分はすべて親会社Hyundaiの「Robotics Metaplant Application Center(RMAC)」と、新たに提携したGoogle DeepMindに割り当て済みで、外部への供給は早くとも2027年以降になる。Hyundaiは米国に260億ドル規模の投資を計画しており、ジョージア州の工場でAtlasの稼働を2028年から開始する予定だ。公式な販売価格は公表されておらず、アナリストの推計では13万〜14.5万ドル程度とされる(一部で流布する「32万ドル」という数字は匿名情報源による上限値であり、公式価格ではない)。2025年8月には、Toyota Research Institute(TRI)との共同研究として、単一の「Large Behavior Model(LBM)」がAtlasの全身――歩行からしゃがみ、持ち上げ、物の操作まで――を一体で制御するデモンストレーションを公開しており、新しいスキルをコードを書かずに人間の実演から追加できる点を強調している。

Agility Roboticsの「Digit」は、米国系ヒューマノイドの中で実運用が最も進んでいる機種の一つだ。物流大手GXOやToyotaの工場などで、ロボットを購入するのではなくサービスとして利用する「RaaS(Robotics-as-a-Service)」モデルで稼働している。SPAC(特別買収目的会社)を通じた上場計画も報じられている。

1X Technologiesの「NEO」は、家庭向けを明確に狙った機種だ。2026年4月30日、カリフォルニア州ヘイワードに工場を開設し生産を開始したと発表した。価格は買い切りで2万ドル、またはサブスクリプションで月額499ドル。NVIDIAのJetson Thorを搭載し、Isaacでシミュレーション学習を行っている。特徴的なのは、ロボットが対応できない作業を人間のテレオペレーター(遠隔操作者)が肩代わりする設計になっている点で、これは自律化までの橋渡しとして意図的に採用されているビジネスモデルだ。ただし、2026年7月16日時点で実際の顧客宅への納品は第三者によって確認されておらず、1X自身の発表も「顧客出荷は2026年中に計画」という将来形の表現にとどまっている。工場開設と量産開始を「出荷開始」と同一視しない方がよいだろう。

中国勢は出荷台数で世界を圧倒している。調査会社Omdiaが2026年1月に公表したデータによれば、2025年の世界のヒューマノイドロボット出荷台数は13,318台(前年比約480%増)で、上海拠点のAgiBotが5,168台・シェア39%で世界1位、杭州拠点のUnitree Roboticsが4,200台・32%で2位、UBTech Roboticsが1,000台で3位となっている。ただしUnitreeは自社ベースの集計で「約5,500台で自社が1位」と主張しており、両社の順位については見解が分かれている点に注意したい。中国勢全体で世界シェアの大部分を占めている。UnitreeのG1(1.6万ドル〜)やR1(4,900ドル〜)は、これまで「不可能」とされてきた価格帯を実現しており、上海証券取引所(STAR市場)でのIPOも承認され、評価額は約62億ドルとされる。AgiBotは2026年3月30日に累計出荷1万台に到達したと発表している。ただし、Unitreeの2025年第3四半期時点の売上の7割超が研究・教育用途向けとされ、産業用途はまだ1割に満たないという指摘もあり、「出荷台数」と「実際の産業現場での稼働」は分けて評価する必要がある。

機種名 開発企業 地域 2026年8月時点の状況 価格・評価額の目安
Optimus Gen 3 Tesla 米国 Fremont工場で2026年後半〜量産開始予定。2025年目標(5,000台)は数百台にとどまり大幅未達 量産時目標2万〜3万ドル
Figure 03 Figure AI 米国 BotQ工場で量産中。2026年4月時点で約90分に1台のペース 評価額390億ドル(2025年9月、非上場)
Atlas(電動版) Boston Dynamics(Hyundai傘下) 米国 2026年生産分は全てHyundai RMACとGoogle DeepMindに割当済み。外部供給は2027年以降 公式価格非公開(アナリスト推定13万〜14.5万ドル)
Digit Agility Robotics 米国 GXO・Toyota等で実運用中。RaaSモデルで提供 非公開。SPAC上場計画あり
NEO 1X Technologies 米国 Hayward工場で2026年4月に生産開始。顧客への実出荷は7月時点で未確認 買い切り2万ドル、または月額499ドル
G1 / R1 Unitree Robotics 中国 2025年出荷4,200台で世界2位(Omdia集計)。上海証取IPO承認 4,900ドル〜1.6万ドル
Expedition A2/A3等 AgiBot 中国 Omdia集計で2025年世界1位(5,168台、シェア39%)。2026年3月に累計出荷1万台到達 非公開

3. 技術を支える要素

フィジカルAIを構成する技術要素はいくつかの層に分けて整理できる。まず基盤モデル層では、視覚と言語と動作を統合するVLA(Vision-Language-Action)モデルが中心的な役割を果たす。RT-2を先駆けとして、Physical Intelligenceのπ0、NVIDIAのGR00T、FigureのHelix、Google DeepMindのGemini Roboticsなどが競合している。多くは「曖昧な指示を段階的な計画に変換する遅い思考(VLM)」と「実際に関節を動かす速い動作(拡散モデルやフローマッチングによるアクションエキスパート)」の二層構造を採用している。

次に世界モデル層では、環境の物理的な未来を予測・生成するモデルが、合成データの生成やシミュレーション、計画立案に使われる。NVIDIA Cosmosはこの「世界基盤モデル」の代表例で、arXivに公開された論文(2501.03575)では、ロボットには「自己のデジタルツイン(方策モデル)」と「世界のデジタルツイン(世界モデル)」の両方が必要だと論じられている。Yann LeCunが提唱するJEPAも、この世界モデル路線に属する。

シミュレーション層では、NVIDIA Omniverseに代表されるデジタルツイン基盤が、実機を作る前に仮想空間で大量の試行錯誤を行うことを可能にしている。川崎重工のKaleido 9の開発でも、Isaac Simを使って仮想空間上に数千体のロボットを同時に動作させ、強化学習で歩行制御を訓練しているという。仮想空間で学習した方策を実機へ移す「Sim-to-Real転移」の精度も課題の一つで、TRI×Boston Dynamicsの「zero-shot転移」(追加調整なしで実機に持ち込む)のような実証も進んでいる。

最後にハードウェア層、特にエッジ半導体が重要だ。ロボットが現場でリアルタイムに推論を行うためには、クラウドに依存しない低遅延の演算基盤が必要になる。NVIDIA Jetson Thorがこの領域の代表例で、Blackwell GPUを採用し40〜130Wの範囲で最大2,070 FP4テラフロップスを発揮する。Teslaは独自チップ(AI5)を、日本のPreferred Networksも独自のAIプロセッサ「MN-Core」シリーズを開発しており、エッジ推論の主導権争いも今後の焦点の一つになりそうだ。

4. どこで使われ始めているか

最も実装が進んでいるのは製造業と物流の現場だ。Figure AIは02モデルをBMWのスパルタンバーグ工場で稼働させ、2025年11月にパイロットプログラムを完了したと発表している。Agility RoboticsのDigitは、物流大手GXOの倉庫やToyotaの工場で実際に稼働している数少ない事例の一つだ。こうした構造化された環境――決まった作業を、決まった手順で、繰り返す現場――は、フィジカルAIが最初に価値を発揮しやすい領域とされている。「danger, dirty, dull(危険・汚い・単調)」な作業をロボットに任せるという発想も根強い。

家庭用・サービス業への展開は、まだ緒に就いたばかりだ。1X NEOが最も先行しているが、前述のとおり実際の顧客宅への納品はまだ確認されていない。日本国内でも、警備・案内向けの「ugo」や食品工場向けの「Foodly」など、限定用途での実装事例は増えているが、「一般家庭の日常的なコンパニオン」として普及するにはまだ時間がかかりそうだ。

自動運転との関係も見逃せない。Jensen Huangは自動運転を「フィジカルAIの最初の大規模商用応用」と位置づけている。世界モデルやシミュレーション技術という基盤技術は共有されているものの、実際のデータ資産は各社で分断されている。Waymoは2億マイルを超える自律走行データと独自の世界モデル、Teslaは数百万台規模のフリートから得られる走行データ、NVIDIAはCosmosの学習に使った2,000万時間超の映像データをそれぞれ抱えている。専門家の間では、「世界モデルの時代は、ChatGPTのような単一の支配的プレイヤーを生むのではなく、専有データによって堀を築いた『領域ごとのチャンピオン』が並立する構造になるのではないか」という見方も出ている。なお、Teslaは自社スーパーコンピュータ「Dojo」の開発チームを2025年8月に解散し、Samsung・NVIDIAへの依存を強める方向へ転換している。

5. 日本の動き――政策と企業連合

日本は米中に対して量産面で明確に出遅れているが、2026年に入って政策主導での巻き返しが本格化している。政府は2026年6月24日、経済財政諮問会議・成長戦略会議の合同会議で「戦略17分野」への官民投資ロードマップ案を示し、そのうちフィジカルAI(特にAIロボット)については2040年度までに官民合計10.5兆円の投資を想定していることを明らかにした。これにより2040年に世界シェア3割超・20兆円市場の獲得、経済波及効果として144.4兆円という目標を掲げている。2030年度までには1.5兆円規模の予算措置も検討されているという。

この方針を具体化する形で、経済産業省は令和8年度(2026年度)当初予算に「AIロボット・フィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデル開発事業」として3,873億円を新規計上した。2026年6月30日には、NEDOの公募を経てソフトバンク・NEC・ソニーグループ・ホンダが中心となって設立した「Noetra株式会社」と、産業技術総合研究所(産総研)が本事業の支援先に選定されたと発表されている。2030年度までの5年間で総額約1兆円規模の支援を見込む大型プロジェクトだ。目的は、現場データを守りながら国内企業が安心して使える国産マルチモーダル基盤モデルを構築すること、そしてエネルギー自給率の低い日本にとって死活的な課題であるAIの省電力化を同時に追求することにあるという。

企業の動きとしては、いくつかの異業種連合が同時並行で立ち上がっている。ソフトバンクグループは2025年10月8日、ABBグループのロボティクス事業を企業価値53.75億ドル(約8,187億円)で買収すると発表した。ABBは同事業を上場分離させる計画を撤回し、この買収に応じる形になった。従業員約7,000人・2024年売上23億ドルの事業で、取引はEU・中国・米国の規制当局の承認を経て2026年半ば〜後半にクローズする見込みとされている。孫正義氏は「SoftBankの次のフロンティアはフィジカルAIだ」と述べている。

安川電機は2025年7月1日付で、早稲田大学発のスタートアップ・東京ロボティクス(双腕・車輪型の作業ロボットを開発)を完全子会社化した。同社のヒューマノイド開発では「歩く・走る」よりも「作業力」、すなわちアクチュエータ技術の獲得が主眼だとされている。2025年10月6日の決算説明会での質疑応答によれば、安川電機は具体的な数値目標こそ開示していないものの、今後の成長市場の7〜8割は次世代機「MOTOMAN NEXT」やAI搭載の自律移動ロボットが占めると見込んでいるという。

川崎重工業は2025年12月3日、2015年から開発を続けるヒューマノイド「RHP Kaleido」の9代目となる「Kaleido 9」を国際ロボット展で公開した。前世代機に比べて脚部・腰部の頑丈さを高め、センサーを追加して自律歩行の精度を上げたほか、VRヘッドセットによる遠隔操作にも対応する。約30kgの棚を移動させるデモを披露しており、開発にはNVIDIAのIsaac Simを活用し、仮想空間上で数千体のロボットを同時に動作させて歩行の強化学習を行っているという。同社は技術ロードマップとして、2030年ごろまでに工場での簡易作業や医療・介護現場でのコミュニケーション支援、2040年ごろに機械の組み立てや高所作業といったより複雑な作業、2050年を見据えて災害現場のような予測不能で危険な環境への対応を掲げている。

富士通は2025年10月3日にNVIDIAとの戦略的協業拡大を発表して以降、複数のフィジカルAI関連技術を段階的に公開してきた。2025年12月2日に「空間の世界モデル技術」、同月24日に自社LLM「Takane」を用いたAIエージェントとフィジカルAIを連携させる「Fujitsu Kozuchi Physical AI 1.0」を発表している。続いて2026年4月23日には、ロボットと物理空間を統合する基盤ソフトウェア「Fujitsu Kozuchi Physical OS」の開発と、米カーネギーメロン大学との共同研究センター「Fujitsu-Carnegie Mellon Physical AI Research Center」の設立を同時に発表した。そして2026年7月16日には、ファナック・安川電機・川崎重工業の3社と共同で、NVIDIAの技術を取り入れた「ソブリン性を確保した協調制御基盤」の事業検討を開始すると発表している。異なるメーカーのロボット同士を連携させ、業務アプリケーションとロボット制御をシームレスにつなぐことを狙う枠組みで、まず2026年9月に富士通の笠島工場(石川県かほく市)で試験運用を始め、年内にVer1として各社に展開、2027年にVer2をリリースする計画とされている。この分野では、ソフトバンク×安川電機によるAI-RANを活用したロボット統合制御の実証や、NVIDIAとToyotaによる協業拡大なども同時期に発表されており、日本の主要メーカーが一斉にこの領域へ動き始めた年と位置づけられそうだ。

純国産ヒューマノイド開発を掲げる産学連合も動いている。2025年7月、早稲田大学、テムザック(京都)、村田製作所、SREホールディングスが中心となり「京都ヒューマノイドアソシエーション(KyoHA)」を設立した。その後マブチモーター、カヤバ、NOK、ヒーハイスト、沖縄科学技術大学院大学(OIST)が参画している。理事長は早稲田大学ヒューマノイド研究所長の高西淳夫氏、開発の全体構想・試作・検証をリードするのはテムザック代表取締役議長の高本陽一氏だ。ロードマップとしては、2025年内から初期プロトタイプの製作に着手し、2026年3月までに技術課題抽出のための試作機を完成させる計画で、2026年4月28日には第一弾の検証機「SEIMEI」の完成が第一次報告会で発表されている。その後、2026年末をめどに災害対応向けの「パワー重視モデル」と、研究開発向けの「俊敏性重視モデル」を開発し、2027年をめどに量産体制を確立、2029年3月までに量産モデルの完成を目指すとされている。米中の主要プレイヤーが2025年から量産に入っていることを踏まえると、市場投入は2〜3年ほど遅れる可能性が高い。

6. 市場予測と資金の動き

市場規模の予測は、機関によって大きく異なる。もっとも慎重な部類に入るのがGoldman Sachsで、2024年1月のレポートで、ヒューマノイドロボットの総市場規模(TAM)を2035年に380億ドルと見積もっている(強気シナリオでは1,540億ドル)。この予測の前提には、部材コストが40%減少するという見通しと、出荷台数が140万台規模まで拡大するという想定がある。対照的に強気なのがMorgan Stanleyで、2025年4月のレポートでヒューマノイド市場(ハードウェア単体)を2050年に4.7兆ドル、これに部品供給網や修理・保守サービスを加えた総額を5兆ドルと予測している。稼働台数は約10億台、1台あたりの単価は2024年の約20万ドルから2050年には5万ドル程度まで下がると見込んでいる。商用調査会社のMarketsandMarketsは、より近い将来の数字として2026年に54.1億ドル、2035年に502.7億ドル(年平均成長率28.1%)という予測を出している。

これらの数字が示すとおり、市場規模の予測は集計対象(ハードウェアのみか、ソフトウェア・サービスまで含めるか)によって大きく変わる。2035年時点の予測だけを比べても、最も慎重な数字と最も強気な数字の間には数十倍の開きがある。特定の予測値を「市場のコンセンサス」として扱うのは避けたほうがよいだろう。

発表機関 対象 予測数値 前提・備考
Goldman Sachs(2024年1月) ヒューマノイドTAM 2035年380億ドル(強気1,540億ドル) 出荷140万台、部材コスト40%減が前提
Morgan Stanley(2025年4月) ヒューマノイド市場全体 2050年5兆ドル(ハード単体4.7兆ドル) 稼働台数約10億台、単価は20万→5万ドルへ低下。5兆ドルは供給網・保守サービス込み
MarketsandMarkets ヒューマノイド市場 2026年54.1億ドル→2035年502.7億ドル 年平均成長率(CAGR)28.1%
Omdia(2026年1月) 世界出荷台数(実績・予測) 2025年13,318台→2035年260万台 2025年実績は前年比約480%増

資金調達の面では、2025年から2026年にかけて主要企業への投資が加速している。Figure AIは前述のとおり評価額390億ドル、Physical Intelligenceは56億ドル(さらなる調達交渉は未クローズ)に達している。Apptronikは2026年2月にSeries A-Xで5.2億ドルを調達し、評価額は約53億ドルとされる。世界のロボティクス関連の資金調達額は2025年通年で138億ドルに達したとされ、Amazon、NVIDIA、Google、SoftBank、Mercedes-Benzといった事業会社が有力な出資者として名を連ねている。

7. 課題とリスク

技術的な課題として最も大きいのは、汎用性と器用さだ。曲面や不定形の物体を安定して掴む、長時間にわたるタスクをこなす、想定外の非構造化環境に適応する――こうした能力は依然として発展途上にある。派手なデモの多くは、まだ「実演(demonstration)」の域を出ていないという指摘も専門家から出ている。コストの問題も大きく、現状では1台あたり10万〜25万ドル程度の水準にあり、これが2万〜3万ドルまで下がれば、高頻度タスクでの投資回収期間が数か月単位まで短縮されるとみられている。

安全規格の整備も途上にある。人間と同じ空間で稼働するヒューマノイドロボットに特化した国際安全規格「ISO 25785-1」は、2025年5月にワーキングドラフトが公開されたが、2026年8月時点でも正式発行には至っていない。ISO技術委員会TC299のもとで作業が進められており、米国側の代表にはBoston DynamicsのFederico Vicentini氏、Agility RoboticsのKevin Reese氏(プロジェクトリーダー)、業界団体A3のCarole Franklin氏が名を連ねている。2025年10月にはバルセロナで作業部会が開催されており、正式発行は2026年または2027年になる見込みとされる。それまでの間、メーカーは既存の産業用ロボット向け規格(ISO 10218など)を可能な範囲で援用しながら安全性を担保している状況だ。「動的に安定を保つ(actively controlled stability)」機構を持つロボット――二足歩行だけでなく四足やホイール型のバランス型ロボットも含む――は、電源が失われると倒れる可能性があるという特有のリスクを抱えており、この規格ではその点への対応が焦点の一つになっている。

労働市場への影響については、まだ定量的に確立した見方はない。ヒューマノイドロボット単独が雇用にどの程度の影響を与えるかという信頼できる推計は、現時点では存在しないと言ってよいだろう。国際労働機関(ILO)などは、単純な「代替」よりも「変革(transformation)」の要素が大きいという見方を示しているが、この議論はまだ発展途上にある。

8. 今後押さえておきたいキーワード集

用語 説明
Physical AI(フィジカルAI)物理法則を理解し、現実世界で知覚・推論・行動するAI。NVIDIAのJensen Huangが提唱した整理では、生成AI・エージェントAIに続くAI進化の最終段階に位置づけられる。
Embodied AI(身体性AI/具身智能)身体を持つ知能全般を指す語。フィジカルAIとほぼ同じ文脈で使われる。
VLA(Vision-Language-Action)視覚情報と言語指示を入力とし、ロボットの動作を出力する統合モデル。ロボット基盤モデルの中核をなす技術。
World Model(世界モデル)環境の物理的な未来状態を予測・生成するモデル。合成データ生成や行動計画に用いられる。NVIDIA Cosmosが代表例。
LBM(Large Behavior Model)ロボットの行動を予測・実行する大規模モデル。Toyota Research InstituteとBoston Dynamicsが共同で提唱・実証した概念。
Sim-to-Real(シム・トゥ・リアル)シミュレーション環境で学習した制御方策を、実機に転移させる技術。追加調整なしで転移する「zero-shot転移」が理想とされる。
Digital Twin(デジタルツイン)現実空間の状態を仮想空間上に再現したもの。NVIDIA Omniverseなどが代表的なプラットフォーム。
Isaac GR00TNVIDIAが開発するヒューマノイド向けのオープンな基盤モデル・開発基盤。2024年3月に「Project GR00T」として構想が発表された。
Jetson ThorNVIDIAのロボット向けエッジAIモジュール。Blackwell GPUを採用し、最大2,070 FP4テラフロップスの演算性能を持つ。
π0(Pi-Zero)Physical Intelligenceが開発するVLA基盤モデル。特定のハードウェアに依存しない汎用性を志向する。
HelixFigure AIが自社開発するVLA。
Gemini RoboticsGoogle DeepMindが開発するVLA・推論モデル群。オンデバイス版や身体横断学習に対応するバージョンも公開されている。
RaaS(Robotics-as-a-Service)ロボットを購入せず、サービスとして利用するビジネスモデル。Agility RoboticsのDigitなどで採用されている。
ISO 25785-1動的に安定を保つ産業用モバイルロボット(ヒューマノイドを含む)を対象とした安全規格。2025年5月にワーキングドラフト公開、2026年8月時点で正式発行前。
ソブリン性(Sovereign AI文脈)国家や組織が自らのデータ・AI基盤について必要な管理権を確保するという考え方。生成AI分野でNVIDIAが提唱してきた概念が、フィジカルAI領域にも波及している。
KyoHA(京都ヒューマノイドアソシエーション)早稲田大学・テムザック・村田製作所などが中心となる、純国産ヒューマノイド開発を掲げる産学連合。

まとめ

フィジカルAIをめぐる現状を一言でまとめるなら、「技術的な収束は明確に起きているが、事業としての実証はまだこれから」という段階にある。VLA・世界モデル・シミュレーション・エッジ半導体という要素技術は出揃い、NVIDIAというプラットフォーマーを軸に急速に整備が進んでいる。一方で、出荷台数のトップを走る中国勢の実態は研究・教育用途が中心であり、評価額で先行する米国スタートアップの多くはまだ数百台規模の実出荷にとどまっている。派手な発表と実際の稼働実績の間には、依然として大きな距離があると見ておいた方がよい。

日本にとっての焦点は、この分野で量産のスピード競争に加わるのではなく、政策資金と異業種連合を通じて「現場データの主権」や「協調制御基盤」といった別の軸で存在感を示せるかどうかにありそうだ。経産省の3,873億円規模の国産基盤モデル事業、富士通・ファナック・安川電機・川崎重工の協調制御基盤構想、KyoHAの純国産ヒューマノイド開発――いずれも2026年後半から2027年にかけて最初の成果が問われる局面を迎える。当面は、各社の「量産計画」がどこまで実際の出荷実績に転換されるか、そして安全規格やソブリン性をめぐる制度設計がどう固まっていくかを、継続的に追っていく必要があるだろう。

日曜日, 8月 09, 2026

フラッグシップ遅延と創業級幹部の離脱——Google AI戦略、実行力の逆風

前回、GoogleのAI戦略を「Gemini・TPU・Cloudの垂直統合」という切り口で整理してから、わずか1週間で状況は大きく動いた。2026年8月5日、Google DeepMindのCEOを務めてきたデミス・ハサビス氏が会長職へ退き、27年在籍の最高科学責任者ジェフ・ディーン氏を含む4名の幹部・研究者が同日に離脱を発表した。同じ週には、5月のI/Oで「6月提供」と約束されたフラッグシップモデル「Gemini 3.5 Pro」が、8月に入っても一般提供されていないという事実が改めて注目を集めている。

この2つの出来事は無関係ではない。Googleの強みを「モデル・半導体・配荷網を一体で持つ垂直統合」に見出した前回の結論は今も揺らいでいないが、その一角である「モデル」の実行力そのものが、この夏に入って明確に軋み始めている。フラッグシップの遅延、相次ぐ研究者の離脱、そして創業級の経営陣交代——これらが同じ2週間に集中したことは、単なる偶然の悪いニュースの重なりというより、Googleの意思決定構造そのものが変化の途上にあることを示しているように見える。

結論を先に述べると、Googleのクラウド事業は四半期82%成長という記録的な数字を出し続けており、資本市場・ビジネス面での勢いは損なわれていない。問題はもっぱら「フロンティアモデルを最速で作り続けられるか」という一点に集中している。以下、8月5日の再編、Gemini 3.5 Proの遅延の実情、人材流出の全体像、そしてそれらに対する市場・アナリストの受け止めを順に見ていく。

本稿には、独立系予測会社FutureSearchによるGemini 4のリリース時期などの予測値を含みます。これらは同社の確率的見積もりであり、Google公式の発表ではありません。予測である旨を明記した箇所以外は、一次報道・企業発表に基づく事実として記述しています。

1. 2026年8月5日、Google AI組織の歴史的再編

Sundar Pichai氏とDemis Hassabis氏が連名でGoogle公式ブログに投稿した発表によれば、Hassabis氏はGoogle DeepMindのCEOを退き、同社の会長(Chair)およびAlphabet初のChief Scientistに就任した。創薬AI子会社Isomorphic Labsのトップは継続する。Hassabis氏は社員向けメモで「日々の運営責任を引き渡し、大局に集中する時間と余地を得るタイミングだと判断した」と説明している。

日常運営を引き継ぐのは、DeepMindのCTOを13年務めてきたKoray Kavukcuoglu氏で、SVPとしてPichai氏に直接報告する体制になった。Kavukcuoglu氏はWaveNetやDQN(Deep Q-Network)の開発を主導した古参であり、Gemini 4の開発を含むフロンティアAI研究・Geminiアプリ・開発者向けチームを統括する。同氏は「我々の使命は変わらないが、野心的なGeminiロードマップを実現する最も明確な道筋を確保することに全力を注ぐ。今の急速に変化する状況では、明確な意図とスピードをもって動かなければならない」との声明を出している。

同じ発表の中で、Chief Scientistのジェフ・ディーン氏(社員番号約30番、27年在籍)が退社し、AI科学スタートアップ「Discovery Loop」を共同設立することも明らかになった。Google Senior FellowのSanjay Ghemawat氏、DeepMind VPのOriol Vinyals氏、Google Brain共同創設者のQuoc Le氏の3名が同行する。Discovery Loopは公益法人(Public Benefit Corporation)として設立され、機械学習・科学・工学研究の自動化を目標に掲げる。GoogleはDiscovery Loopの出資者かつクラウド提供者になると発表されており、Radical VenturesとKhosla Venturesがシード資金を共同主導している(ラウンドは記事執筆時点で未クローズ、評価額は非開示)。ディーン氏はNew York Timesの取材に対し、「上場企業の外で活動することで、会社の純粋な財務的利益に必ずしも沿わない判断もできるようになる」と述べている。

この発表には、報道機関の間でも興味深い食い違いがある。Pichai氏のメモとX投稿は退社者としてディーン氏とGhemawat氏の2名のみを明示的に挙げたが、Discovery Loopの公式サイトはVinyals氏とLe氏を含む4名を創業メンバーとして掲載している。特にVinyals氏はX上の自己紹介で「Gemini co-lead」を名乗っており、Gemini 4の新責任者が発表されたまさにその日に、Geminiの技術共同リードが同時に離脱したという皮肉な符合が複数メディアで指摘された。Alphabet株はこの発表を受けて4〜5%下落した(報道によって幅がある。CNBCは約4%、Fortune・Yahoo Financeは約5%と伝えている)。

2. フラッグシップの現在地——Gemini 3.5 Proはなぜ遅れているのか

2026年5月19日のGoogle I/Oで、GoogleはGemini 3.5シリーズを発表し、軽量版のGemini 3.5 Flashを即日提供した。フラッグシップのGemini 3.5 Proについては、Pichai氏が「翌月(6月)」の提供を明言していた。しかしこの約束は8月上旬時点でも果たされておらず、Google公式のモデルカタログには依然としてGemini 3.5 Proのエントリが存在しない(Pro級として提供されているのはGemini 3.1 Pro(プレビュー)とGemini 2.5 Pro(安定版)のみ)。

Bloomberg(2026年7月16日、現・元従業員10名の証言に基づく)によれば、遅延の主因はコーディング性能が社内目標に届いていないことだ。Googleは2026年6月下旬に学習データを更新してコーディング能力の改善を試みたが、「結果は期待外れだった」という。この報道を受けてAlphabet株は約4.4%下落している。Google広報はBloombergに対し、「現在3.5 Proと改良版のFlashモデルをパートナーとテスト中」であり、「幅広いモデルを高いコスト効率を維持しながら迅速に出荷している」とコメントしている。

LA Times(7月17日)の報道では、遅延の背景としてGoogle Cloud・DeepMind・Android部門がそれぞれ独自にAIコーディングツールを開発する組織構造の重複が指摘されている。限られた計算資源を複数チームが奪い合う状況になっており、Googleはこれらを「Antigravity」という単一プラットフォームへ統合しようとしている。予測会社FutureSearchのDan Schwarz氏(元Google社員、2014〜2022年在籍)は、この報道を「Googleはベースモデルを白紙に戻して作り直した(scrapped and rebuilt the base model)」ことを示すものと解釈しており、当初の想定より深刻な事態だったとの見方を示している。

7月21日、Googleは軽量モデル3種(Gemini 3.6 Flash、3.5 Flash-Lite、セキュリティ特化のGemini 3.5 Flash Cyber)を投入した一方、フラッグシップのProについては「準備が整い次第、広く展開する」というのみで、具体的な日付は示さなかった。同じ発表の末尾で、Googleは次世代モデル「Gemini 4」の事前学習を既に開始したことを明らかにしている。2日後の7月23日、Q2決算説明会でPichai氏は、フロンティアで競争するには「より大きなベースモデルが必要」であり、コーディングと自律エージェントが次世代の優先課題になると述べた。

3. Gemini 4はいつ来るのか——事前学習開始と第三者予測

Googleが公式に確認しているのは、Gemini 4の事前学習を「これまでで最も野心的な学習run」として開始したという事実のみだ。リリース日、パラメータ規模、ベンチマーク、価格、コンテキスト長など、製品としての仕様は一切公表されていない。業界メディアの一部は2026年11〜12月頃のリリースを見込む向きもあるが、これはGoogleの公式なコミットメントではなく、過去のリリース間隔からの推測にすぎない。

この点について、FutureSearchのSchwarz氏は8月5日の再編を受けて確率的な予測を公表している。同社の見立てでは、Gemini 4の一般提供時期の中央値は2027年5月15日(80%予測区間は2027年通年)であり、「2026年内のリリースは80%区間の外」とされている。根拠として、同氏はフロンティア級の学習runには100日以上を要し、その後の事後学習・安全性評価に数か月、さらに各社の主要リリースには連邦政府による30日間のレビューが付随する点を挙げている。同氏は「2か月前はGoogleがフロンティアから6〜9か月遅れていると述べたが、今は約12か月遅れていると考える」とも記している。あくまで一予測会社による確率的見積もりであり、絶対視すべきではないが、参考情報として付記しておく。

なお同氏は、OpenAIのGPT-6についても「2026年3月24日に事前学習を完了し、Sam Altman氏は"数週間後"のローンチを示唆していたが、4か月半経った今も未提供で、その学習成果はGPT-5.5として点リリースされ、GPT-6自体はより大きな基盤でリスタートされたと報じられている」ことを引き合いに出し、「数週間おきに出る点リリースと、頓挫すればリスタートされる新世代の事前学習runを混同してはいけない」と指摘している。

4. 人材流出の全体像——2026年に去った顔ぶれ

2026年に入ってからのGoogle DeepMind/Google AI部門の主要な離脱は、以下のように整理できる。

氏名 発表時期 移籍先/新会社 元の役割・実績
Noam Shazeer 2026年6月18日 OpenAI Gemini共同リード(VP of Engineering)。Transformer論文「Attention Is All You Need」共著者。2024年にCharacter.AI経由(約27億ドル規模の取引)でGoogle復帰していた
John Jumper 2026年6月19日 Anthropic AlphaFold開発、2024年ノーベル化学賞受賞。9年弱DeepMindに在籍
Jonas Adler/Alexander Pritzel 2026年6月 Anthropic Gemini/AlphaFold関連の上級研究者
Denny Zhou 2026年2月頃(非公表、後にLinkedInの更新で判明) Meta Superintelligence Labs Google Brainの推論研究チーム創設者。8年在籍
David Silver 2026年1月 自ら設立(Ineffable Intelligence) DeepMind最初期メンバー、強化学習チームを主導。AlphaGo・AlphaZero・MuZeroの開発者
Jeff Dean 2026年8月5日 自ら設立(Discovery Loop) Alphabet Chief Scientist。27年在籍、社員番号約30番
Sanjay Ghemawat/Oriol Vinyals/Quoc Le 2026年8月5日 Discovery Loop Google Senior Fellow/DeepMind VP(Gemini co-lead)/Google Brain共同創設者

Silver氏の事例は、Googleの対応パターンを考えるうえで示唆に富む。同氏は2026年1月にDeepMindを離れ、ロンドンで強化学習ベースの超知能開発を掲げるIneffable Intelligenceを設立したが、同年4月27日、同社はSequoia・Lightspeedが共同主導する欧州最大級となる11億ドルのシード資金調達(評価額51億ドル)を発表している。この調達にはNvidiaとともにGoogle自身も出資者として名を連ねた。離脱した研究者の新会社にGoogleが出資し、クラウド顧客として関係を維持するというパターンは、8月のDiscovery Loop(Google自身が投資家兼クラウド提供者)とも共通しており、単純な「人材流出=完全な喪失」という図式には収まらない側面がある。

5. なぜ人は去るのか

複数の報道を総合すると、離脱の背景には主に次のような要因が挙げられている。

  • 報酬とプレIPOのアップサイド:AnthropicとOpenAIはいずれもIPOを視野に入れており、上場済みのAlphabetが構造的に提供しづらいプレIPOエクイティを提示できる。Anthropicは2026年5月末に約965億ドルの評価額でシリーズHラウンド(650億ドル)を完了させており、3か月前の380億ドルから急伸している。
  • 計算資源へのアクセス:CNBC(8月5日)は複数の匿名情報源を引用し、Google CloudがAnthropicを含む外部顧客にTPUを販売する一方で、社内の研究者が自らのプロジェクトに必要な計算能力へのアクセスに不満を募らせていると報じている。
  • 組織の複雑さ:検索・Maps・YouTubeなど広範な製品群にAIを統合する過程で、承認プロセスが多層化し、リリースの機動力を損なっているとの指摘がある。
  • 軍事契約への異論:Googleは2026年4月、Geminiを「あらゆる合法的な政府目的」に開放する機密のペンタゴン契約を締結したと報じられている。これに対し、ロンドン拠点のDeepMindスタッフ約300名が労働組合を結成する動きが2026年5月に報じられており、軍事協力を巡る内部での意見対立が士気に影響しているとの分析もある。

なお、この一連の離脱報道に対し、Googleは8月の再編以前(7月23日付Axios報道)の時点で反論を示していた。2026年上半期のAI人材の離職率は前年同期より低く、AI関連職のオファーの90%超が受諾されていると主張している。ただしこの反論は8月5日の再編発表より前のものであり、Dean氏らの離脱に対する直接のコメントではない点には留意が必要だ。

6. 市場とアナリストの反応

今回の一連の離脱・再編に対する株式市場の反応は、6月と8月の2度にわたって表れている。6月22日、Shazeer氏とJumper氏の連続離脱を受けてAlphabet株は取引時間中に一時7%下落し、1年超で最大級の下落幅を記録した。8月5日の再編発表でも株価は4〜5%下落しており、Cryptonomistは時価総額の減少を約1,900億ドルと試算、FutureSearchのSchwarz氏は自身のブログで「市場の約2,000億ドル規模の下落」に言及している(いずれも二次的な試算であり、幅を持って見るべき数字である点に注意されたい)。

アナリストの受け止めは一様ではない。D.A. DavidsonのGil Luria氏は6月の離脱時点で「GoogleはAIフロンティアにおける人材獲得競争で負けつつあるという懸念が強まっている」とコメントした。一方、JefferiesのBrent Thill氏は8月の再編後、「AI人材獲得競争が激化している」との認識を示しつつも、「IPOを控えたフロンティアラボが優秀な研究者の獲得競争で優位に立ちつつある一方、Googleは依然として深いAI専門性と加速するクラウド成長の恩恵を受けている」と指摘し、離脱を「沈みゆく船からの逃避」ではなく「潤沢な資金にアクセスできる創業者への転身が可能になった労働市場の変化」として捉える見方を示した。同氏は6月時点でも、Googleの約19万4,668人(2026年第1四半期時点、前年比5%増)という従業員基盤と、検索・Cloud・Workspaceにまたがる合計30億ユーザー規模の配荷力、TPUによるコスト優位性を根拠に、Geminiが最高性能のモデルである必要は必ずしもないと論じている。

FutureSearchのSchwarz氏の分析はさらに踏み込んでいる。同氏は、AIラボ157件のモデルリリースと171件の人事異動を統計的に分析したMike Frantzen氏の調査("The masthead is not the moat")を引用し、「著名研究者を多く失ったラボほど、その後より優れたモデルを開発する傾向がある」という逆説的な結果を紹介している。これは、優秀な人材はどの企業も「勝っているラボ」から引き抜こうとするためであり、真の堀(moat)は看板研究者ではなく学習スタックそのものと、報道に名前が出ない中堅層の厚みにあるという解釈だ。この見立てを踏まえ、同氏は「今回の市場の約2,000億ドルの下落は、人材流出そのものというより、モデルのタイムラインに対する懸念だと考える」と結論づけている。同社は今後6か月間で、DeepMindに残る上級研究・エンジニアリング指導者(約15名と推定)のうち中央値で2名(0〜6名の範囲)が追加で離脱すると予測している。

7. クラウドは絶好調という逆説——「勝者に土地を貸す」シナリオ

今回の一連の出来事を語るうえで見落とせないのが、Google Cloud事業そのものは記録的な成長を続けているという対照的な事実だ。Google Cloudの売上は2026年第2四半期に前年同期比82%増となっており、この成長の一部は、他ならぬフロンティアAIラボへのインフラ賃貸によって支えられている。中でも大きいのがAnthropicとの関係で、報道(The Informationの報道をReutersが伝えたところによれば)によると、Anthropicは2027年からの5年間で総額約2,000億ドルをGoogle Cloudに投じることをコミットしたとされ、最大100万基規模のTPUと複数ギガワット級の次世代computeを対象とする契約と伝えられている。Discovery LoopやIneffable IntelligenceがいずれもGoogleからcompute供給を受ける関係にあることも同じ文脈で理解できる。

これをGemini自体の商業的な規模と比較すると、対照はより鮮明になる。Morningstarの推計(FutureSearch経由)によれば、Gemini APIの売上は年換算で約150億ドル程度とされ、消費者向けAIサブスクリプションの規模はさらに小さいとみられる。正確な数字を得るのは難しいものの、この比較は「Geminiの収益規模はGoogleにとってCloud事業ほど大きくはないかもしれない」ことを示唆している。FutureSearchはこの構図から、「2028年より前にAnthropicの年換算Google Cloud支出額がAlphabet自身のGemini収益(API+消費者向けサブスクリプション)を上回るか」という問いを立て、60%の確率を見積もっている。

この見方が示唆するのは、Googleが必ずしも「フロンティアモデルそのもので勝つ」ことに固執する必要はなく、TPUとクラウドインフラを軸に「フロンティアの勝者に土地を貸す」立場としても十分な事業機会を持ちうるという、垂直統合戦略のもう一つの解釈だ。これは前回記事で論じた「モデル・半導体・配荷網の一体運用」という強みの中の、半導体・インフラの側面がむしろ独立した収益源として機能し始めている可能性を意味している。もっとも、これは仮説的なシナリオであり、Gemini自体の競争力低下を正当化するものではない点には留意したい。

まとめ

この2週間の動きを整理すると、Googleは「フロンティアモデルの実行力」という一点で明確な逆風に直面しつつも、「インフラ・配荷・資本力」という土台は揺らいでいないという、ねじれた構図が浮かび上がる。Gemini 3.5 Proの遅延は単なるスケジュールの後ろ倒しではなく、ベースモデルを作り直すレベルの手戻りを伴っていたとみられ、Gemini 4への軸足移動もその帰結として理解できる。人材流出についても、著名研究者の離脱そのものより、彼らが去った先で何を作るか(そしてGoogleがその出資者・クラウド提供者であり続けるか)の方が、中長期的には重要な変数になりそうだ。

今後の観測点としては、(1)Gemini 3.5 Proが実際にいつ、どの程度の性能で一般提供されるか、(2)Kavukcuoglu体制下でGemini 4の開発ペースが実際に上がるか、(3)今後半年でDeepMindの上級研究者がどの程度追加で離脱するか、(4)AnthropicをはじめとするCloud顧客からの収益がGemini自体の収益規模を上回っていくか、の4点を挙げておきたい。前回記事で示した「垂直統合の強みと、収益基盤の緊張」という構図に、今回は「フロンティア実行力の遅れ」という新たな軸が加わった形になる。

土曜日, 8月 08, 2026

Macはなぜ671BのLLMを動かせるのか——ユニファイドメモリの仕組みと2026年DRAM危機の現実

RTX 5090は32GBのVRAMを積んだNVIDIAの最上位コンシューマーGPUだが、70Bクラスの大規模言語モデル(LLM)を4bit量子化してもそのままでは載らない。ところが40万円台のMac Studioなら、パラメータ数671BのDeepSeek R1をまるごとメモリに載せて動かせてしまう。なぜMacだけがこんな芸当をやってのけるのか——答えは「ユニファイドメモリアーキテクチャ(UMA)」にある。

ローカルLLM界隈でこの1年ボトルネックとして語られてきたのは、GPUの演算性能(TFLOPS)ではなく「メモリ容量」と「メモリ帯域」だ。Googleの研究者David Pattersonらが2026年5月のIEEE Computer誌で指摘した通り、AIチップの計算性能はこの10年で80倍に伸びた一方、メモリ帯域の伸びは17倍にとどまり、両者のギャップは4.7倍に開いている。この文脈で、AppleがM1シリーズから一貫して採用してきたUMAが、図らずも「個人がAIモデルを手元で動かす」という新しいニーズに刺さった格好だ。

結論を先に言うと、Macの強みは「容量」であって「速度」ではない。そしてこの構図に気づいたAMD・NVIDIA・Qualcommも、それぞれのやり方でユニファイドメモリ型のアーキテクチャに追随し始めている。さらに2026年に入ってから深刻化したDRAM価格の高騰により、Mac Studio自体の買える構成が様変わりしている。本稿では技術的な仕組みから、競合との比較、そして「結局2026年8月時点で何を買うべきか」まで整理する。

本稿の価格・在庫関連の記述は2026年8月時点のものです。DRAM市場の需給は急速に変動しており、時間が経てば陳腐化する可能性があります。またM5 Ultra搭載Mac StudioやAMDの次世代APUなど、一部は正式発表前の観測筋情報として扱い、その旨を本文中に明記しています。

1. ユニファイドメモリアーキテクチャ(UMA)とは何か

従来型のPCでは、GPUは専用のVRAMを持ち、CPU側のシステムRAMとは物理的に分離している。LLMがVRAMに収まりきらない場合、推論エンジンはモデルの層をGPUとCPU RAMに分割し、そのたびにPCIeバスを跨いでデータをやり取りする。PCIe 5.0 x16でも理論値で片方向約64GB/sしか出ず、モデルの一部でもVRAMからあふれた瞬間に推論速度は大きく落ち込む。

Appleシリコンのユニファイドメモリアーキテクチャは、CPU・GPU・Neural Engine(NPU)が単一の物理メモリプールを共有することで、この「詰め替え」を原理的になくす設計だ。GPUがモデル重みにアクセスする際にPCIe転送のオーバーヘッドが発生せず、マシンに搭載された全メモリがそのまま「VRAM」として使える。

LLMのメモリ所要量は大まかに次の式で見積もれる。4bit量子化(Q4)の場合、実務上の目安として「10億パラメータあたり約0.6GB」に、コンテキスト長に応じたKVキャッシュ分を加える。70BモデルはQ4で約40〜48GB、FP16なら約140GB必要になる。この「140GB」という数字だけで、24GBや32GBのコンシューマーGPU1枚では端から歯が立たないことがわかる。

2. Appleシリコンの世代別スペック

LLMのトークン生成(デコード)は基本的に「メモリ帯域律速」で、帯域がほぼそのまま生成速度を決める。Appleシリコンの帯域は世代とグレードでかなり幅がある。

チップ メモリ帯域 最大UMA容量 メモリ種別
M4(素) 120GB/s 32GB LPDDR5X
M5(素) 153GB/s 32GB LPDDR5X
M5 Pro 307GB/s 64GB LPDDR5X
M5 Max(32コアGPU) 460GB/s 36GB LPDDR5X
M5 Max(40コアGPU) 614GB/s 128GB LPDDR5X
M3 Ultra 819GB/s 512GB(構成上の理論最大) LPDDR5X

M3 ProはM1/M2 Proの200GB/sから150GB/sへと帯域が後退した世代があり、Appleが「up to」という表現を多用する点にも注意したい。M5 Max自体、GPUコア数によって460GB/sと614GB/sの2段階があり、同じ「M5 Max」でも構成次第で帯域が3割以上変わる。

3. 「容量」の圧勝と、「速度」で見劣りする理由

YouTuberのDave2D(Dave Lee氏)が512GB構成のMac Studio(M3 Ultra)でDeepSeek R1の671Bモデル(4bit量子化、ストレージ消費404GB)を動かした検証はよく引用される。macOSのデフォルトのVRAM割り当て上限をTerminalコマンドで448GBまで手動拡張し、約17〜18トークン/秒で生成、消費電力は200W未満だったという。複数のGPUをまたいで分散させる必要がある規模のモデルを、単一マシン・低消費電力で動かせる点は、他のパーソナルコンピュータには真似できない。

ただし、これは「容量」の勝利であって「速度」の勝利ではない。RTX 5090(32GB、1,792GB/s)はM4 Max(546GB/s)やM3 Ultra(819GB/s)より帯域そのものは高く、VRAMに収まる範囲(〜32GB程度)のモデルではNVIDIA側が明確に速い。プロンプト処理(プリフィル、最初の1トークンが出るまでの時間)についても、llama.cppのMetalバックエンドは長年「遅い」と指摘されてきた領域で、長いコンテキストを扱うほどNVIDIA勢との差が開く。

この弱点に対するApple側の回答が、GPUコアに新設された「Neural Accelerator」と、MLXフレームワークの強化だ。Appleの機械学習研究チームが公開したベンチマークでは、M5搭載機(24GB構成)はM4比でプリフィルが最大4.06倍、生成速度が19〜27%向上したという。ただしこの数値はベースM5とベースM4の比較であり、M5 MaxのようなハイエンドSKUでの数値ではない点には注意したい。2026年3月にはOllamaもmacOS向けの推論バックエンドをMLXへ切り替え、M5 Max上のQwen3.5-35B-A3Bでプリフィルが1,154→1,810トークン/秒、生成が58→112トークン/秒に向上したと公表している。ただしこの比較は量子化形式が異なる(旧側はQ4_K_M、新側はNVFP4)非等価比較であり、対応モデルもプレビュー時点ではQwen3.5系に限られる。独立検証でも効果はモデル依存で、Qwen3.6ではほとんど変化がなかったという報告もある。MLX自体にも弱点があり、トークンを出力する前に入力全体のプリフィルを完了させる設計のため、長いコンテキストではTTFT(最初のトークンが出るまでの時間)が入力長に比例して伸びる。8.5Kトークンのプロンプトで、UI上の表示は51トークン/秒でも実効スループットは3トークン/秒しか出なかった、という報告もある。

4. 他社も雪崩を打って追随するユニファイドメモリ

AppleのUMAに最も忠実に追随したのがAMDの「Strix Halo」ことRyzen AI Max+ 395だ。16基のZen 5コア、40基のRDNA 3.5コンピュートユニット、50 TOPSのXDNA 2 NPUを1パッケージに統合し、最大128GBのLPDDR5X-8000を共有する。256bitバスの理論帯域は256GB/sだが、実測は約212〜215GB/sにとどまる。AMD公式は最大約112GBをGPU用に割り当て可能としている。帯域自体はApple Maxクラスに及ばない。128GB構成は2026年初頭こそ1,500〜1,800ドル程度で手に入ったが、DRAM高騰の波はこの陣営にも及んでおり、2026年半ば以降は市場価格が3,000ドルを超え、7〜8月には3,400〜3,800ドル程度まで上昇している。もはやDGX Spark(3,999〜4,699ドル)と比べて「圧倒的に安い」とは言いにくい水準だ。なおAMDは2025年に「Strix HaloはDeepSeek R1でRTX 5080比最大3.05倍」という自社ベンチマークを公表しているが、これはRTX 5080のVRAM(16GB)を超えるモデルサイズでの比較であり、方法論も非公開のため、生の演算性能の優劣を示すものではない点に注意したい。

NVIDIAはデータセンター向けのGrace HopperやGrace Blackwellで、独自のコヒーレント統合メモリを推進しているほか、デスクトップ機の「DGX Spark」(GB10、128GB LPDDR5X、273GB/s、3,999〜4,699ドル)でも同様の思想を採用している。ただしDGX Sparkの実力は用途によって大きく分かれる。dense(非MoE)の70Bクラスモデルでは、第三者ベンチマーク(LMSYS)でLlama 3.1 70B(FP8)のデコードが2.7トークン/秒、Qwen 2.5 72BやLlama 3.2 90Bでも4.6トークン/秒程度と、実用的な対話速度には届かない。長いプロンプトのTTFTも数分単位(Llama 3.2 90Bで133秒、DeepSeek R1 70Bで180秒)とかなり長い。一方で、MoE(後述)アーキテクチャのgpt-oss-120B(総パラメータ120B・活性約5B)では35〜80トークン/秒という報告があり、DGX Sparkの強みは「dense 70B」ではなく「MoEアーキテクチャ」または「vLLM等を使った高並列度でのバッチ処理」(同一条件で高負荷時に単発リクエスト比120倍のスループットという報告もある)にあると見るべきだろう。

QualcommのSnapdragon X2 Elite Extreme(X2E-96-100)は、12チャネル(192bit)のオンパッケージLPDDR5Xで228GB/sを実現し、初代Snapdragon X Elite(135GB/s)から約7割向上した。NPU(Hexagon)はTOPSベースで45→80と倍近くに伸びている。ただしこのラインには帯域192GB/sより低い廉価SKU(X2E-88-100など、128bitバスで152GB/s)も併存しており、「X2 Elite」とひとくくりに語ると数値を取り違えやすい。

5. NPUのTOPS表記に踊らされてはいけない

AI PCのマーケティングでは「NPU〇〇TOPS」という数字が独り歩きしがちだが、大型LLMの実効速度を決めるのは基本的にメモリ帯域であり、TOPSではない。典型的な混同例がIntelのLunar Lake(Core Ultra 200V)だ。NPU単体は48 TOPSだが、GPU・CPU分も合算した「プラットフォーム合計120 TOPS」という数字がしばしばNPU単体の性能であるかのように引用される。搭載メモリも最大32GBのオンパッケージLPDDR5X-8533にとどまり、大型LLM向けの構成ではない。

NPU TOPS(INT8) 備考
Apple Neural Engine(M4) 38 TOPS 16コア
Qualcomm Hexagon(X Elite初代) 45 TOPS 帯域135GB/s
Qualcomm Hexagon(X2 Elite Extreme) 80 TOPS 帯域228GB/s(廉価SKUは152GB/s)
Intel NPU 4.0(Lunar Lake) 48 TOPS 「プラットフォーム合計120 TOPS」と混同されやすい
AMD XDNA 2(Strix Halo) 50 TOPS -

現状、大型LLMの推論はNPUではなくGPU(Apple環境ではMetal/MLX経由)で回すのが主流で、NPUの出番は7〜8B級の量子化モデルまでの常時稼働タスク(要約、字幕生成など)に限られる。実際、MLX自体もMetal経由でGPUを使う設計で、Neural Engine(ANE)を直接使ってはいない。

6. モデル規模別の適材適所とMoEとの相性

モデル規模 向くハードウェア 理由
1B〜8B NPU/エッジ/任意のGPU 省電力・常時稼働向け。8GBでも4bitで動作可
13B〜34B コンシューマーGPU(16〜32GB VRAM)またはMac 32〜64GB VRAMに収まる範囲ではNVIDIAが速い
70B級(dense) Mac Studio/Strix Halo(いずれも96〜128GB) 単一コンシューマーGPUには載らない。UMAが実質的な受け皿
100B〜数百B(MoE中心) 大容量UMA機、またはDGX SparkのようなMoE最適化機 総パラメータは容量を食うが、活性パラメータは一部のみ

MoE(Mixture of Experts)は総パラメータが巨大でも、トークンごとに一部のエキスパートしか活性化しない。DeepSeek-V3は671B中37Bのみ、gpt-oss-120Bは128エキスパート中4つ(総パラメータの一部)だけが動く。重要なのは、全エキスパートをメモリに常駐させる必要がある(=容量を食う)一方、トークンあたりに読み込むのは活性化分だけ(=帯域負荷は小さい)という非対称性だ。これがUMA機(Mac、Strix Halo、DGX Spark)とMoEの相性の良さの正体で、DGX Sparkのgpt-oss-120Bが35〜80トークン/秒出るのもこの原理による。

ただし「MoEなら常に速い」というわけでもない。大学の研究チームがOLMoE-1B-7B(活性1.3B・総7B)をApple M2ProとNVIDIA Jetson Orin Nanoで検証した論文では、帯域律速の環境ではMoEの推論コストは活性パラメータではなく総パラメータに追随する傾向が見られ、エッジ環境では同じ活性パラメータ数のdenseモデルに対して約31%遅い結果になったと報告されている。全重みが物理メモリに載り切る大容量UMA機でこそMoEの利点が生きる、という理解が実態に近い。

7. 2026年のDRAM危機で覆ったMac Studioの現実

ここまでの技術的な議論はMac側にかなり有利な材料が並ぶが、2026年に入ってからの状況変化を無視できない。TrendForceは2026年第1四半期のDRAM契約価格見通しを前四半期比90〜95%上方修正し、Gartnerは年間のDRAM+SSD価格が130%上昇すると予測した。AI向けHBMへの生産能力シフトが、コンシューマー向けDRAMの供給を圧迫している。

この余波でApple自身のMac Studioラインナップが目に見えて縮小した。2026年3月、512GB構成(旧価格9,499ドル)がオンラインストアから消え、上限は256GBに。256GBへのアップグレード価格も1,600ドルから2,000ドルへ引き上げられた。さらに5月には256GB構成も削除され、M3 Ultra Mac Studioは96GB構成の一択に。6月25日の全体的な値上げでは、その96GB構成自体も3,999ドルから5,299ドルへと1,300ドル値上がりしている。Appleの技術仕様ページ自体には256GBの記載が残っており、これが恒久的な仕様変更なのか一時的な販売制限なのか、Appleは公式には説明していない。

結果として、2026年8月時点で実際にApple直販で買える「最大メモリを積んだMac」は、Mac Studioではなく128GB構成のM5 Max MacBook Proという逆転現象が起きている。macOS Tahoe 26.2で追加されたThunderbolt 5クラスタ機能を使えば、256GB機を2台束ねて疑似的に512GBプールを作ることも理論上は可能だが、合計コストは旧512GB構成の単体価格を上回り、インターコネクトのレイテンシも単一ダイのUMAには及ばない。なおMac Proは2026年3月26日付けで販売終了となり(Appleは後継モデルの計画がないことも公表済み)、Mac Studioが名実ともにAppleのフラッグシップワークステーションとなっている。

Bloombergのマーク・ガーマン氏は、M5 Ultra搭載Mac Studioが2026年10月前後に登場し、最大768GBのユニファイドメモリをテスト中と報じているが、これは正式発表前の観測筋情報であり、供給状況次第では実際に販売される上限がそれより低くなる可能性がある。ガーマン氏はまた、AppleがM6世代のPro/Maxチップを見送り、AI性能強化を優先したM7世代を前倒しする計画だとも伝えている。

8. 結局、個人が70B超をローカルで動かすには何を買うべきか

選択肢 実効メモリ/帯域 想定価格 向き・不向き
Mac Studio(M3 Ultra 96GB) 96GB/819GB/s 約5,299ドル〜 70B Q4は載る。静音・省電力。100B超やFP16の70Bは容量不足
M5 Max MacBook Pro 128GB/614GB/s 約6,999ドル(16インチ・2TB。2026年6月の値上げ前は約5,099〜5,399ドル) 2026年8月時点で実際に買える中では最大メモリのApple製品。ノート機であること自体は制約にならない
AMD Strix Halo搭載機 128GB/実測約212〜215GB/s 2026年初頭は約1,500〜1,800ドル。DRAM高騰で2026年半ば以降は3,000〜3,800ドル程度に上昇 dense 70Bも実用速度。ただしDGX Sparkとの価格差はDRAM高騰でほぼ解消した。ソフト面はMetal/MLXほど成熟していない
NVIDIA DGX Spark 128GB/273GB/s 約3,999〜4,699ドル MoEモデル(gpt-oss-120B等)や高並列バッチ処理に強い。dense 70Bの単発対話は非常に遅い(数トークン/秒)

まとめると、dense(非MoE)の70Bクラスモデルを単発の対話用途でローカルに動かしたいなら、Mac StudioかStrix Halo搭載機が現実的な選択肢になる。逆にgpt-oss-120Bのような大型MoEモデルを動かしたい、あるいはチーム内の小規模な推論サーバーとして複数リクエストを捌きたいなら、CUDAエコシステムとFP4ネイティブ対応を持つDGX Sparkに分がある。エンタープライズ向けのマルチユーザー・高スループット推論であれば、この価格帯の議論はそもそも成立せず、H100/H200/B200クラスのデータセンターGPUを使うのが妥当だ。

購入前に確認すべきは「TOPS」ではなく、(1)メモリ帯域(GB/s)、(2)実効メモリ容量(GB)、(3)動かしたいモデルの量子化後フットプリント、(4)dense構成かMoE構成か、の4点だ。とりわけ2026年後半は在庫と価格の変動が激しいため、購入直前にメーカー直販ページで実際に選べる構成を確認することを勧めたい。

まとめ

Macが大型LLMを動かせる理由は、CPU・GPU・NPUが単一の高帯域メモリプールを共有するユニファイドメモリアーキテクチャにある。その本質は「容量の勝利」であり、「速度の勝利」ではない。VRAMに収まる規模のモデルではNVIDIAのコンシューマーGPUが依然として速く、プロンプト処理の弱さもMac側に残る課題だ。そしてこの構図はAppleの独壇場ではなくなりつつある。AMD Strix Halo、NVIDIA DGX Spark、Qualcomm Snapdragon X2という形で、業界全体がユニファイドメモリという方向に収斂している。

一方で、2026年のDRAM価格高騰はMac Studioという製品そのものの立ち位置を揺るがした。512GBという看板構成はすでに市場から姿を消し、96GBが現実的な上限になっている。この波はAppleだけでなく、Strix Halo搭載機のような「安価な代替」を謳ってきた陣営にも等しく及んでおり、128GB構成の実売価格は2026年初頭の1,500ドル台から半年余りで3,000ドル台後半まで上昇した。「大容量が欲しければMacを買えばいい」「Macが高いならStrix Haloを買えばいい」といった単純な図式は、少なくとも執筆時点ではもう成立しない。ハードウェア選びは、動かしたいモデルがdenseかMoEか、単発対話か並列処理か、という要件と、購入直前の実売価格に立ち返って判断する必要がある。

金曜日, 8月 07, 2026

蒸留か、フルスクラッチか ― 楽天・Sakana AI・富士通に見る国産LLMの作り方

2026年3月、楽天グループが「国内最大規模」として公開した大規模言語モデル「Rakuten AI 3.0」を巡り、技術コミュニティで騒動が起きた。Hugging Face上の設定ファイルを見た開発者たちが、そのアーキテクチャが中国DeepSeek社の「DeepSeek V3」と一致することに気づいたのだ。楽天は当初「ベースモデルは非開示」と回答を避けたが、指摘から10日後、DeepSeekのオープンモデルを採用したことを公式に認めた。

この一件は、「国産LLM」という言葉が実際には何を指しているのかを改めて問い直す出来事になった。楽天だけの話ではない。今回取り上げるSakana AIの最新モデルも、富士通のTakaneも、土台にあるのは海外で作られたオープンモデルや商用モデルである。ゼロから学習する「フルスクラッチ型」は、むしろ少数派だ。

本稿では、蒸留・チューニングによって作られる国産LLMの現状を整理し、このアプローチのメリット・デメリット、そして今後の行方を考える。結論を先に言えば、蒸留・チューニング型は今後も国産LLMの主流であり続けるが、楽天とSakana AIの対照的な対応が示すように、今後は「何をベースにしたか」を隠さず説明できるかどうかが、モデルの評価を左右するようになっていく。

本稿で挙げるベンチマーク数値の多くは、各社が自ら測定・公表した値であり、第三者による独立検証を経ていないものを含む。その旨は該当箇所に明記した。また「今後の展望」の内容は筆者の推定であり、確定的な予測ではない。

1. 「国産LLM」の2つのタイプ

「国産LLM」と呼ばれるモデルは、大きく2つのタイプに分けられる。ひとつは、Llama・Qwen・DeepSeek・Command R+・Kimiといった海外のオープンウェイトモデルや商用モデルを土台に、継続事前学習・指示チューニング・モデルマージ・知識蒸留などの手法で日本語化した「蒸留・チューニング型」。もうひとつは、トークナイザからアーキテクチャ、学習データまで完全に独自に構築する「フルスクラッチ型」だ。国内で名前の挙がるモデルの大半は前者にあたる。

モデル 開発元 ベースモデル 手法
Rakuten AI 7B / 2.0 / 3.0 楽天グループ Mistral-7B(7B)→ DeepSeek V3(3.0) 継続事前学習、MoE拡張、指示チューニング
Llama-3.1-ELYZA-JP-70B ELYZA(KDDI傘下) Llama 3.1 継続事前学習+指示チューニング
Swallow 東京科学大学・産総研 Llama 2 / Llama 3.1 継続事前学習(アカデミック)
Takane 32B 富士通・Cohere共同 Command R+ 追加学習+ファインチューニング
ABEJA QwQ/Qwen派生 ABEJA Qwen2.5シリーズ 継続事前学習+ChatVector(モデルマージ)
TinySwallow-1.5B Sakana AI Qwen2.5-32B → Qwen2.5-1.5B TAID知識蒸留(研究用途限定ライセンス)
Sakana Namazu Sakana AI Kimi K2.6(Moonshot AI) 日本語事後学習+出力の偏り抑制チューニング

一方、フルスクラッチ型は少数だが、いずれも「学習データを完全に制御できる」ことを最大の売りにしている。

モデル 開発元 規模 特徴
tsuzumi 2 NTT 30B GPU1基で動作。2025年10月提供開始
Sarashina2 SB Intuitions(ソフトバンク) 460億 2025年11月に商用API提供開始
PLaMo Preferred Networks 31B(2.x系) SSM-Attentionハイブリッド。3.0でフルスクラッチ再構築
LLM-jp-3 国立情報学研究所 172B 学習データまで含め完全公開
Stockmark-2 Stockmark 100B MITライセンスで公開

2. 楽天・Sakana AI・富士通 ― 3つの選択

楽天 Rakuten AI 3.0は2026年3月17日、Apache 2.0ライセンスで無償公開された。プレスリリースでは「オープンソースコミュニティ上の最良なモデルを基に」開発したとするのみでベースモデル名は伏せられていたが、Hugging Face上のconfig.jsonにはアーキテクチャとして「DeepseekV3ForCausalLM」、総パラメータ671B・トークンあたり活性化37Bという、DeepSeek V3と完全に一致する仕様が記載されていた。3月19日の取材に対し楽天は「ベースモデルは非開示」と回答したが、3月27日になって広報からDeepSeekのオープンモデルを採用したとの回答があった。また当初のリポジトリにはDeepSeek V3のMITライセンスが求める著作権表示が欠落しており、指摘を受けて後日NOTICEファイルが追加されている。技術的な手法自体(オープンモデルをベースにしたファインチューニング)は業界で広く行われているものであり、問題視されたのは開示の遅れとライセンス表記の不備だった。開発はGENIAC第3期の補助を受けている。

Sakana AIは対照的な対応を取った。2026年8月3日に提供開始したLLM API「Sakana Namazu」は、Moonshot AIが公開するオープンモデル「Kimi K2.6」を土台に、独自データで日本語と日本の商習慣への適合を進め、特定の話題での応答回避や出力の偏りを抑えるチューニングを施したものだ。公式発表では「Kimi K2.6をはじめとする、オープンなAIエコシステムの上に成り立っている」とベースモデルを明記し、開発コミュニティへの謝辞まで添えている。日本語指示追従を測るJFBench(Preferred Networks開発)、日英翻訳タスク、政治的中立性を測る独自ベンチマークFairPoliticsQAでベースモデルを上回り、特にFairPoliticsQAは34.10%から56.30%へ向上したという。なお、同社が2025年1月に発表した小型モデル「TinySwallow-1.5B」は、Qwen2.5-32B-InstructからQwen2.5-1.5B-Instructへ知識を転移させる独自の蒸留手法TAID(ICLR 2025 Spotlight採択)で作られたものだが、モデルカード上は研究開発目的に限定され、商用利用は想定されていない。

富士通のTakaneは2024年9月30日、CohereのCommand R+をベースに、日本語強化のための追加学習とファインチューニングを施して提供開始された。日本語理解ベンチマークJGLUEで「世界最高記録」を達成したとされるが、これは富士通とCohereによる自社測定であり、公式リリースにも「JNLIとJCoLAについては正解データに不確かさがあったため、複数人のアノテーターにより正解データを修正して測定した参考値」との注記がある。第三者評価であるNejumi LLMリーダーボード3では意味理解0.862、構文解析0.773というスコアも公表している。金融・製造・安全保障分野などセキュアなプライベート環境での利用を主眼としている。

3. ベンチマークの読み方

各社が公表する「世界最高」「最高性能」といった主張の多くは、測定条件を限定した自社測定であり、独立した第三者検証ではない。中立的な指標として国内で最も参照されるのは、Weights & Biases Japanが運営する「Nejumi LLMリーダーボード」(現行はLeaderboard 4)だ。汎用言語性能とアラインメントの2軸で、翻訳・要約・推論・コーディングから毒性・バイアス・真実性までを評価する。

2026年3月時点の分析によれば、Nejumi Leaderboard 4の総合スコアTop 50に日本産モデルは1つも入っていない。最上位はNVIDIA製の「Nemotron Nano 9B Japanese」(0.7111)で、11位のQwen3.5-27B(0.8049)とも大きな差がある。国産モデルの強みは総合スコアではなく、JFBenchのような日本語特化タスクや、日本固有の文脈・慣習への適合度にあるというのが実態に近い。

4. メリット・デメリット

蒸留・チューニング型のメリット

  • フルスクラッチの数分の一以下の開発コスト・期間で、Kimi・DeepSeek・Qwenなど強力な基盤モデルの性能をそのまま活用できる
  • 少ない追加学習量で高い日本語性能に到達しやすい(費用対効果が高い)
  • モデルマージやChatVectorなど低コストな手法で業務特化・軽量化がしやすい

蒸留・チューニング型のデメリット

  • 元モデルの能力を大きくは超えられず、性能の天井が基盤モデル依存になる
  • Llama・Qwen・DeepSeekなどのライセンス条項が派生物にも及ぶ。再配布や商用利用の可否を確認する必要がある
  • 学習データの起源や重みの中身を完全には検証できず、「国産」を名乗ることの妥当性が問われうる。Rakuten AI 3.0の一件はこれを象徴する

フルスクラッチ型の特徴

  • 学習データの権利・品質・バイアスを完全に管理でき、データ主権・透明性を訴求できる
  • 莫大な計算資源・データ・資金が必要で、同予算では絶対性能で見劣りしがち

5. 政府支援の現状 ― GENIACと源内

経済産業省とNEDOが2024年2月から進める計算資源支援プロジェクト「GENIAC」は、蒸留・チューニング型とフルスクラッチ型の双方を支えてきた。第2期(2024年10月開始)では約20テーマ、第3期(2025年8月開始)では24件が採択され、2026年6月4日に発表された第4期でも16件が採択されている。採択企業にはPreferred Networks、ABEJA、Sakana AI、楽天など、両タイプの開発元が並ぶ。

より踏み込んだ動きが、デジタル庁の政府共用生成AI基盤「源内(げんない)」だ。2026年3月6日、デジタル庁は令和7年12月2日から令和8年1月31日にかけて実施した公募の結果を発表した。応募15件のうち書類審査と評価テストを経て選定されたのは7件で、内訳はNTTデータ「tsuzumi 2」、カスタマークラウド「CC Gov-LLM」、KDDI・ELYZA共同応募体「Llama-3.1-ELYZA-JP-70B」、ソフトバンク「Sarashina2 mini」、NEC「cotomi v3」、富士通「Takane 32B」、Preferred Networks「PLaMo 2.0 Prime」となっている。

モデル 応募元 系統 備考
tsuzumi 2 NTTデータ フルスクラッチ NTT開発の30Bモデル
Llama-3.1-ELYZA-JP-70B KDDI・ELYZA 蒸留・チューニング Llama 3.1ベース
Sarashina2 mini ソフトバンク フルスクラッチ由来の蒸留 自社フルスクラッチ大型モデルを圧縮した派生形
cotomi v3 NEC 非公表 開発方式の詳細は未確認
Takane 32B 富士通 蒸留・チューニング Command R+ベース
PLaMo 2.0 Prime Preferred Networks フルスクラッチ 独自アーキテクチャ
CC Gov-LLM カスタマークラウド 非公表 開発方式の詳細は未確認

興味深いのは、7件のうち少なくとも2件(ELYZA、Takane)が明確な蒸留・チューニング型であり、政府調達候補にも派生型が普通に含まれている点だ。さらに、デジタル庁が公表した選定基準の1つ目には「国内で開発された大規模言語モデルであること。また、開発経緯や開発方法、開発体制、独自開発モデルか派生モデルかの区別等が具体的に説明可能であること」と明記されている。つまり政府は、フルスクラッチかどうかを問うのではなく、「どちらであるかを説明できるか」=透明性そのものを審査基準に据えている。楽天の一件が示した教訓が、公共調達の設計に先取りされている形だ。選定モデルは2026年8月頃から源内で試用が始まり、2027年1月頃に評価結果の一部が公表され、2027年4月から優れたモデルの政府調達(有償)が検討される予定になっている。

6. 今後の展望

蒸留・チューニング型は、今後も国産LLMの主流であり続けるとみてよい。Kimi K2.6やDeepSeek V3のような高性能オープンモデルが次々と登場する以上、それを土台にする方が費用対効果で圧倒的に有利という構図は変わらない。焦点は「フルスクラッチかどうか」から「何をベースにしたかを説明できるか」へと移りつつある。源内の選定基準がすでにその方向を示しており、今後の公共調達では同様の透明性要件が標準化していく可能性が高い。

一方でフルスクラッチ型は、学習データの完全な統制が要件となる金融・医療・防衛・行政といった領域で、少数派ながら存在感を保ち続けるだろう。ソフトバンクのSarashina2 miniのように「自社フルスクラッチモデルを蒸留して軽量版を作る」という中間的なアプローチも今後増えていくと考えられ、「フルスクラッチか派生か」という二分法自体が、実務上はグラデーションになっていくのではないか。

まとめ

「国産LLM」の大半は、海外オープンモデルへの継続事前学習・チューニング・蒸留によって作られた派生型であり、これ自体は業界標準の手法で問題ではない。楽天のRakuten AI 3.0が炎上したのは、DeepSeek V3を使ったこと自体ではなく、それを開示しなかったことだった。対照的にSakana AIは、直近のNamazuでKimi K2.6という土台を明記し、コミュニティへの敬意まで表明した。デジタル庁の源内が選定基準に「独自開発か派生かを説明できること」を明記したように、今後の国産LLM評価の軸は、開発方式そのものよりも透明性に移っていくと考えられる。