「すでに社内での活用が始まっており、来月には皆さまにお届けできる予定です」。Googleが2026年5月19日、Google I/Oに合わせた公式ブログでGemini 3.5 Proをこう予告してから、まもなく4か月が経ちます。カレンダーを何度めくっても、その「来月」はまだ来ていません。
待っている間に、GoogleはFlash系モデルを4本とサイバー特化モデルを2本出し、DeepMindのトップが交代し、株価は二度大きく揺れ、MetaのAI責任者からは「gemini who?」と二度もいじられました。フラッグシップ不在の夏は、単なる製品スケジュールの遅れを超えて、Googleの開発体制そのものが問われる出来事になっています。
先に結論を書きます。2026年9月11日時点で、Gemini 3.5 Proは未リリースです。Google DeepMindの公式モデルページには「3.5 Pro coming soon」の表示が残っており、中止は発表されていません。一方でWall Street Journalは、社内の3.5 Pro候補が「Flashを十分に上回らなかった」ために破棄されたと報じ、Google自身も次世代Gemini 4の事前学習を公表しています。つまり、今の焦点は「3.5 Proはいつ出るか」から「3.5 Proは欠番になるのか」へ移りつつあります。本記事では、確認済みの事実と噂を分けながら、この夏の顛末と今後を整理します。
1. 「来月」の長い旅——約束から現在までの時系列
まずは時系列です。Proの席だけがぽっかり空いたまま、その周りが猛スピードで動いていく様子がよくわかります。
| 日付 | 出来事 | ひとこと |
|---|---|---|
| 2025年11月18日 | Gemini 3 Pro(プレビュー)発表。LMArenaで1501を記録し首位に | Googleが最先端に返り咲いた瞬間。現在の「落差」はここから測ることになります |
| 2026年2月19日 | Gemini 3.1 Pro 公開 | まさかこのモデルが半年以上フラッグシップを務めることになるとは |
| 2026年5月19日 | Google I/O。Gemini 3.5 Flashを一般提供し、3.5 Proは「来月」提供と予告 | 伝説の「来月」発言 |
| 2026年6月17日・19日 | Gemini共同リードのNoam ShazeerがOpenAIへ、AlphaFoldのJohn JumperがAnthropicへの移籍を相次いで表明 | 「来月」のはずだった6月に、来たのは退職のお知らせでした |
| 2026年6月22日 | Alphabet株が約5%安(CNBC) | 人材流出とSpaceX株の急落が重なった複合要因 |
| 2026年7月16日 | Bloombergが「3.5 Proは予定から数か月遅れ、特にコーディング性能の改善に時間を要している」と報道。Alphabet株は終値で約4.4%安 | 約2000億ドルの時価総額が一日で消えました |
| 2026年7月21日 | Gemini 3.6 Flash、3.5 Flash-Lite、3.5 Flash Cyberを発表。同じ投稿でGemini 4の事前学習開始を公表 | 「3.5 Proはまだですが、4はもう始めました」 |
| 2026年7月22日 | Alphabet第2四半期決算。Pichai CEOが次のフロンティアには「はるかに大きな基盤モデル」が必要と発言 | ほぼ月次のリリースペースにも言及 |
| 2026年8月5日 | Demis HassabisがDeepMind CEOから会長職へ。同日、Jeff Deanが退社を発表 | 製品の遅れが経営体制の変更にまで波及 |
| 2026年8月13日 | Gemini 3.7 Flash 公開 | Flash、3回目の登場 |
| 2026年9月2日 | Gemini 3.8 Flashと3.8 Flash Cyberを公開。同日、MetaのAlexandr Wangが「gemini who?」と投稿 | Flash、4回目。Wang氏の「gemini who?」は2回目 |
| 2026年9月11日 | DeepMindの公式Proページは「3.5 Pro coming soon」のまま。現行フラッグシップはGemini 3.1 Pro(プレビュー) | 「soon」の賞味期限が問われています |
報道ベースでは、3.5 Proは6月、7月中旬、8月上旬と目標時期を少なくとも3回通過しています。7月21日にはGoogle DeepMindのLogan Kilpatrick氏が、3.5 Proはパートナーとテスト中で「近いうちに」出したいと述べましたが、それからすでに7週間が過ぎました。
2. なぜ出ないのか——壁の名前は「コーディング」
遅延理由として最も具体的なのは、2026年7月16日のBloomberg報道です。現・元従業員10名への取材にもとづき、Gemini 3.5 Proが特にコーディング能力で社内の期待に届かず、改善に時間をかけているため予定から数か月遅れていると伝えました。Google広報は同報道に対し、3.5 Proや改良版Flashなどをパートナーとテスト中だと答えましたが、新しい提供日は示していません。
Google側もこの弱点を隠してはいません。Pichai CEOは5月の時点でポッドキャストに出演し、エージェント型コーディングでは「少し遅れている」と認め、利用データを生む開発者向け製品が手薄だったことを理由に挙げていました。7月22日の決算説明会でも、改善すべき領域としてコーディングとエージェント型コーディングを名指ししています。
そして9月初めには、Wall Street Journalがさらに踏み込んだ内容を報じました。社内で検討されていた3.5 Proの候補モデルは、Flashシリーズに対して十分な改善を示せなかったため破棄された、というものです。同じ記事は、次期フラッグシップのGemini 4が事前学習の評価では良好な結果を出しているものの、事後学習(ポストトレーニング)の工程がまだ残っているとも伝えています。
要するに「兄より優秀な弟」問題です。GoogleはI/Oの時点で、3.5 Flashが難度の高いコーディング・エージェント系ベンチマークで3.1 Proを上回ると公表していました(Google自身による評価)。弟がここまで育ってしまうと、兄は「Proです」と名乗るだけでは許されません。Flashの数倍の単価を付けるProが、Flashと大差ない性能で出てくれば、価格表の上で自らの存在理由を失ってしまうからです。候補が破棄されたという報道は、この構図を考えると筋が通っています。
3. Proが迷子の間に、Flashは4回おかわりした
Proが足踏みしている間、Flash系は驚くほど順調です。Fortuneが「106日で4本」と表現したとおり、I/Oから9月2日までにFlashの番号は3.5から3.8まで進みました。Pichai CEOが決算で語った「ほぼ月次のリリース」は、少なくともFlashについては有言実行されています。
| モデル | 公開日 | 主な内容 | 提供範囲 |
|---|---|---|---|
| Gemini 3.5 Flash | 5月19日 | Terminal-Bench 2.1で76.2%、MCP Atlasで83.6%などを示し、3.1 Proを上回ると主張(Google自己申告) | 一般提供 |
| Gemini 3.6 Flash | 7月21日 | 入力100万トークンあたり1.50ドル、出力7.50ドル。Artificial Analysisの指数測定で3.5 Flashより出力トークンが17%少ないとGoogleが説明 | 一般提供 |
| Gemini 3.5 Flash-Lite | 7月21日 | 軽量・低コスト版。Google検索にも展開 | 一般提供 |
| Gemini 3.7 Flash | 8月13日 | 企業向けのエージェント構築用途を前面に出した改良版 | 一般提供 |
| Gemini 3.8 Flash | 9月2日 | 3.7 Flashと同じ導入価格(入力0.75ドル、出力3.75ドル)。WSJによれば社内コード名は「Skimaki」で、社内コーディングツールJetskiでの比較ではエンジニアがAnthropicのOpusより好んだとされる | 一般提供 |
| Gemini 3.5 Flash Cyber/3.8 Flash Cyber | 7月21日/9月2日 | 脆弱性の発見・修正に特化したセキュリティ専用モデル。通常のFlashの後継ではなく別系統 | 政府機関や信頼できる防御側パートナーに限定 |
なお、表の「Cyber」2モデルは番号こそFlashを名乗っていますが、誰でも使える製品ではありません。3.8 Flash CyberはFairwind Programを通じて限られた防御側組織に提供されています。AnthropicのMythos Previewなどと同様、サイバー能力の高いモデルを限定提供する流れの一環と見るのが妥当です。
では、今Pro級として使えるモデルは何かというと、2026年2月公開のGemini 3.1 Pro(プレビュー)です。料金はプロンプト20万トークン以下なら入力100万トークンあたり2ドル・出力12ドル、20万トークン超では入力4ドル・出力18ドルに上がり、コンテキスト長は100万トークンです。Flashの導入価格と並べると、単価の差はかなり大きくなります。ただし思考トークンやツール呼び出しの回数によって実際のタスク単価は変わるため、単価表だけで優劣を決めるのは禁物です。
Google自身が公表した3.8 Flashのベンチマーク表では、複数の項目でClaude Opus 5やGPT-5.6 Solと並ぶか上回るとされています。これもベンダーの自己申告値ですが、仮にその通りなら「Flashがフロンティアモデルと張り合っている」わけで、Proの出番はますます狭くなります。
4. 人も株価も揺れた夏
モデルの遅れと並行して、人材の面でも痛手が続きました。6月17日、Gemini共同リードを務めていたNoam ShazeerがOpenAIへの移籍を表明。その2日後の6月19日には、2024年ノーベル化学賞受賞者でAlphaFoldを率いたJohn Jumperが、約9年在籍したGoogle DeepMindを離れAnthropicに加わるとXで発表しました。Bloombergは、JumperがGoogleのAIコーディング開発チームの主要メンバーだったと伝えています。
週明けの6月22日、Alphabet株はCNBCによれば約5%安で引けました。時価総額の目減りは報道により約2500億〜2700億ドルと幅があります。ただしこの日の下落は人材流出だけが原因ではなく、SpaceX株の急落も同時に重なったと報じられている点には注意が必要です。一方、7月16日のBloomberg報道を受けた下落(約4.4%、約2000億ドル)は、ほぼ3.5 Proの遅延報道そのものへの反応でした。どちらも売上や利益が変わったわけではなく、「Googleは最先端から脱落しつつあるのか」という期待値の修正です。
8月5日には経営体制が動きました。Demis HassabisはGoogle DeepMindのCEOを退いて会長職に就き、Alphabetのチーフサイエンティストを兼ねる立場になりました。日常の運営とGeminiモデル開発は、CTOだったKoray KavukcuogluがSVPとして引き継いでいます。同じ日にはチーフサイエンティストのJeff Deanが27年勤めたGoogleを去ることを発表し、Sanjay Ghemawat、Quoc Le、Oriol Vinyalsとともに新会社Discovery Loopを立ち上げました。退職の挨拶に並ぶ名前だけで、機械学習の教科書の目次が作れそうな顔ぶれです。
WSJによれば、新体制のKavukcuoglu氏は社内に対し「もっと速く動く必要がある」と強調しているとのことです。3.7 Flashと3.8 Flashの矢継ぎ早のリリースは、その意思表示とも読めます。
5. 競合は待ってくれない——「gemini who?」2連発
Googleの足踏みを最も楽しそうに眺めているのは、Metaかもしれません。MetaのチーフAIオフィサーであるAlexandr Wangは、7月21日、Muse Spark 1.1がArtificial Analysisの指数でGemini 3.6 Flashを上回ったと話題になったタイミングで、Xに「gemini who? 🏎️💨」とだけ投稿しました。
そして9月2日、Muse Spark 1.3の公開に合わせて再び投稿します。今度は「本当は言いたくないんだけど……gemini who?」。わざわざ前置きを付けてから言うのは、だいたい言いたかった人です。この投稿が引用したArtificial Analysisの発表によれば、パートナー向け限定プレビュー中のMuse Spark 1.3(max)は同社の総合指数で62を記録し、上にいるのはClaude Fable 5.1とClaude Opus 5だけでした。
もちろん、総合指数ひとつの順位で勝ち負けが決まるわけではありません。指数は複数ベンチマークの合成で、測定条件によって数ポイントは簡単に動きますし、Flash系は価格帯がまったく違います。ただ、Anthropic、OpenAI、Metaがそれぞれ最上位クラスのモデルを並べる中で、Googleだけが「最上位の段」に新しいモデルを置けていない、という構図は数字の細部に関係なく揺るぎません。2025年末にGemini 3 Proで首位に立った会社としては、なかなか居心地の悪い眺めです。
6. 噂の交通整理——打率は今のところゼロ割
待たされる時間が長くなるほど、噂は増えます。この夏にGemini 3.5 Proをめぐって流れた主な噂を、現時点での扱いとあわせて整理しておきます。いずれもGoogleは認めていません。
| 噂の内容 | 出どころ | 2026年9月11日時点の扱い |
|---|---|---|
| LMArenaに匿名で出現した | 一部のテック系ニュースサイト(8月上旬) | 保存された対戦結果やGoogle・LMArenaの声明はなく、未確認 |
| コンテキスト長200万トークン | リーク情報を紹介する複数のサイト | 公式仕様は存在しない。現行の3.1 Proも3.8 Flashも100万トークン |
| 「今日リリースされる」 | リーク系記事(8月)など、複数回 | いずれの日付でもリリースされず |
| 上位版「3.5 Pro+」が存在する | SDKのコードに文字列が見つかったとする記事(8月) | 未確認。製品として告知された事実はない |
| 3.5 Proは「正式に棚上げ」された | 調査会社SemiAnalysisの見解として一部サイトが報道(8月10日) | Googleは中止を発表しておらず、公式ページは「coming soon」のまま。後述のWSJ報道とは内容が異なる点に注意 |
ここで区別しておきたいのが、「3.5 Pro計画が正式に棚上げされた」という噂と、WSJが報じた「社内の3.5 Pro候補モデルが破棄された」という話です。後者は大手紙の報道で、複数の報道機関が引用しています。ただし「候補を捨てた」ことと「3.5 Proという製品を出さない」ことは同じではありません。候補を作り直して出す可能性もあるからです。公式にはまだ「coming soon」、報道ベースでは「少なくとも当初の候補はボツ」。これが現時点で言える精一杯の正確さです。
7. 今後の見通し——3.5 Proは出るのか、欠番になるのか
判断材料を並べると、次のようになります。Googleは7月21日の公式ブログで、3.5 Proはパートナーとテスト中で、準備ができ次第広く提供すると書きました。同じ投稿でGemini 4について「これまでで最も野心的な事前学習を開始した」と明かしています。Pichai CEOは翌日の決算で、次世代のフロンティアにははるかに大きな基盤モデルが必要だと語り、Gemini 4が出る時点でのフロンティアで競争したいと述べました。そしてWSJは、3.5 Proの社内候補の破棄と、Gemini 4の事後学習がまだ残っていることを報じています。Gemini 4の公開時期は公式には一切示されていません。
これらを踏まえた筆者の見立てを、3つのシナリオで示します。確率は筆者の主観的な推定であり、精密な予測ではありません。
| シナリオ | 筆者の推定 | 根拠と、実現したと判断する条件 |
|---|---|---|
| A:「Gemini 3.5 Pro」の名前のまま2026年内に公開される | 約25% | 公式ページの「coming soon」が残り、中止も発表されていない。一方で候補破棄の報道があり、Flashとの差を示せる改良版が年内に間に合うかは不透明。APIに gemini-3.5-pro が載れば実現 |
| B:3.5 Proは実質的な欠番となり、次のProはGemini 4世代で登場する | 約55% | Flashが月次で改良され、Proの差別化余地が縮んでいる。経営陣の発言もGemini 4に重心が移っている。3.5 Proを出さないままGemini 4のProが公開されれば実現 |
| C:名称を変えた別のPro級モデルが先に出る | 約20% | Flashの番号がすでに3.8まで進んでおり、「3.5」を名乗ると旧世代に見えるという事情もある。3.5以外の番号や新名称でPro級が出れば実現 |
Gemini 4自体については、事後学習が残っているという報道からすると、数週間以内に一般公開というのは考えにくいでしょう。年内にプレビューなど何らかの形で姿を見せる可能性はそれなりにあると筆者は見ていますが(五分五分程度)、公式の裏付けはありません。Pichai CEOが自ら「出る時点のフロンティア」を狙うと宣言した以上、中途半端な状態では出しにくいという事情もあります。
今後、状況の変化を見極めるうえで注目したいのは次の点です。
- Google DeepMindの公式Proページから「3.5 Pro coming soon」の表示が消えるかどうか。消えたうえで3.5 Proが載っていなければ、欠番の可能性が一気に高まります。
- Gemini APIのモデル一覧や料金ページ、Vertex AIのモデルガーデンに3.5 Proのモデル名と価格が現れるかどうか。
- Gemini 4のモデルカードやプレビュー提供の告知。
- 例年10月下旬に行われるAlphabetの第3四半期決算で、Pro系とGemini 4についてどのような説明があるか。
利用者側の実務としては、3.5 Proの登場を前提にした移行計画や調達は、モデル名と価格が確定するまで置かないのが無難です。現時点でPro級の推論が必要なら3.1 Pro、多くの業務用途なら3.8 Flashが現実的な選択肢になります。どちらにしても、モデルを差し替えやすい設計にしておけば、「来月」がいつ来ても慌てずに済みます。
まとめ
Gemini 3.5 Proは、2026年9月11日時点で未リリースです。原因として最も確かな情報は、コーディング性能が社内目標に届かなかったというBloombergの報道と、社内候補がFlashを十分に上回れず破棄されたというWSJの報道です。その間にGoogleはFlashを106日で4本出し、Gemini 4の事前学習を始め、DeepMindの経営体制を入れ替えました。公式ページの「coming soon」はまだ残っていますが、重心はすでにGemini 4へ移っているように見えます。
皮肉なのは、Proを追い詰めたのが競合だけではなく、自社のFlashだったことです。弟が優秀すぎて兄の出番がなくなる、というのは、技術的にはむしろ健全な悩みとも言えます。Googleは2023年のBardで出遅れたと言われながら、2025年末にはGemini 3で首位に返り咲いた会社でもあります。「来月」が来るのが先か、Gemini 4が来るのが先か。そしてAlexandr Wang氏が3回目の「gemini who?」を投稿する日は来るのか。この年末の答え合わせを、少し意地悪く、しかし期待も込めて見守りたいと思います。