TL;DR
- ロシアは制裁と頭脳流出に直面しながらも、Sber(GigaChat)とYandex(YandexGPT/Alice AI)を二大プレイヤーとする「主権AI(Sovereign AI)」エコシステムを2023年以降急速に構築した。だが、独立系評価では米国LLMがMMLUでGigaChat MAXの現水準より1年先行しており(Ben Dubow/CEPA・Omelas、The Moscow Times 2025年1月28日付)、Sber自身が認める「米中に6〜9ヶ月遅れ」(Alexander Vedyakhin副CEO、Reuters 2025年6月)はむしろ楽観寄りである。
- OpenAI、Microsoft Azure、Google Cloud、AWSはいずれも2022年3月までにロシアでの新規販売を停止、OpenAIは2024年7月9日にAPIアクセスをIP単位でブロックした。一般ユーザーはChatGPTにVPN経由でしかアクセスできず、国内代替(GigaChat、YandexGPT、T-Bank Gen-T、MTS Cotype)への移行が国家戦略として推進されている。
- 同時に、ロシア政府はAIを国家安全保障の中核と位置づけ、2030年までにAIによるGDP寄与を11兆ルーブル超に拡大することを目標化。一方でRT/FSB主導の「Meliorator」や「Pravda(プラウダ)ネットワーク」など、生成AIを情報戦・西側LLMの「LLMグルーミング(汚染)」に転用する活動が並行して進む二面性が際立つ。
1. 国産LLMの主要プレイヤー
Sber GigaChat
2023年4月クローズドβ公開、2024年2月時点で個人ユーザー250万人。2025年3月のGigaChat 2.0発表時点で15,000社の法人ユーザー(Sber副CEO Alexander Vedyakhin発言、Reuters取材)。Sber投資家プレゼンでは2025年通年で「月次2,000万ユーザー、年間8億クエリ、AIによる経済効果4,500億ルーブル(うち生成AI500億ルーブル)」と自己申告(Investing.com経由)。
2025年11月のオープン化では2モデルを同時公開(GitHub salute-developers/gigachat3、MITライセンス):
- GigaChat 3 Ultra Preview(702B-A36B):MoE、MTP、MLA搭載のフラッグシップ。コンテキスト128Kトークン。ロシア語MERAベンチマーク1位を主張(自己ベンチ)。
- GigaChat 3 Lightning(10B-A1.8B):ローカル・高負荷用の軽量版。コンテキスト256Kトークン。
さらに2026年1月には改良版GigaChat 3.1 Ultra/Lightningを追加公開(Habr 2026年1月記事)。
冷静な批判:Ben Dubow(CEPA上級研究員・Omelas CTO)はThe Moscow Times 2025年1月28日付記事「Russian AI Struggles in Its Own Language」で「GigaChat MAXの200億パラメータ・13万1千トークンコンテキストはChatGPT-3.5(約2年前)相当、Gemini 1.5の200万トークンには遠く及ばない」と指摘。mysummit.school(2026年3月)の独立ベンチマークでは「ファクトエラーが定期的に発生」とされDeepSeek V3.2やQwen 3.5 Plusを下回る。
Yandex YandexGPT/Alice AI
オープン公開のYaLM 100B(800台のA100で65日訓練)から商用YandexGPTへ移行。2024年4月にYandexGPT 3搭載Alice AIを発表、Aliceの月間アクティブユーザーは6,600万人(Yandex公式プレスリリース2024年4月19日)。2025年2月にYandexGPT 5、2026年初頭に新ファミリー発表。AliceはYandexGPT 5世代以降の最新モデルで継続的に更新。
T-Bank(旧Tinkoff)Gen-T
2024年12月に**T-Pro(320億パラメータ)とT-Lite(70億パラメータ)**をApache 2.0でオープン化。中国Alibaba Qwen2.5をベースにロシア語適応、開発コストを「ゼロから訓練する企業比で80〜90%削減」と主張(T-Bank広報、Vedomosti紙)。
MTS AI Cotype
2024年11月にCotype Nano(15億パラメータ)を商用利用可能なライセンスで公開(Snapdragon 8 Gen 2搭載スマホで9.5トークン/秒)。2025年にCotype Pro 2(コンテキスト12.8万トークン、推論速度40%向上)を発表。
2. 制裁・地政学的影響
西側テック企業の撤退
- Microsoft:2022年3月4日にロシアでの新規製品・サービス販売を停止。EU第12次制裁パッケージ(2023年12月)を受け、2024年3月20日以降、ロシア法人はOffice 365、Azure、Teams等の利用を遮断。
- AWS:2022年3月8日に新規アカウント受付停止(Bloombergほか)。
- Google Cloud:2022年3月10日に新規顧客受付停止、Google LLC Russiaは2022年9月28日に破産。
- OpenAI:2024年7月9日からAPIトラフィックのIPブロックを開始(ロシア・中国・イラン・北朝鮮対象)。
- Meta:2022年3月21日にモスクワ裁判所が「過激派組織」認定。Facebook・Instagramがブロック(WhatsAppのみ例外)。
GPU・半導体制裁の実態
- 2022年8月、NVIDIAがA100・H100のロシア・中国向け輸出停止を開示。2023年10月にA800/H800/L40Sに拡大。H200・Blackwellへの対象拡大が続く。
- Shreyaサプライチェーン事件(Bloomberg, 2024年10月):インドの製薬会社Shreya Life Sciencesが2024年4〜8月、Dell PowerEdge XE9680サーバー1,111台(約3億ドル相当)をロシアに輸出。ルートは「マレーシア(Dell子会社出荷元)→インド(Shreya輸入)→ロシア(再輸出)」の3段階(Bloomberg詳報、TechSpot)。サーバーにはNVIDIA H100またはAMD Instinct MI300Xが搭載(混在、1,111台中998台はH100と判明)。2024年3〜8月にマレーシアからインドへ計1,407台が輸入された事実を貿易データが確認。
- 英国政府はBaikal Electronics、MCST、MikronをARMライセンス停止対象として制裁指定(DCD)。
GPU保有の格差(推定)
RFE/RL匿名ソース:Sberが2022年2月以降に蓄積したGPUは推定約9,000枚。比較:
- Microsoft:2024年単年で485,000枚のNVIDIA Hopper系を購入(Omdia調査、FT 2024年12月18日)
- Meta:2024年に224,000枚購入、総保有60万H100換算(DCD)
- Google:2024年に169,000枚購入
3. 国家戦略・政府政策
- 2019年に初版、2024年2月に大統領令で大幅改訂したAI国家戦略。目標:AIサービス市場を2022年の120億ルーブルから2030年に600億ルーブルに、AI専攻大卒者を年15,500人(現状3,000人)に。
- 2030年GDP寄与11兆ルーブル目標:副首相Chernyshenko発言(Interfax 2023年9月)。
- プーチンは2025年11月のAI Journey会議で「国家AI実装計画」策定を指示(TASS)、同時に大統領府・政府直下の「AI本部」設置を命令。
- 政府AI予算:2024年に50億ルーブル超(Mishustin首相、Interfax 2023年9月27日)。
- データ経済国家プロジェクトに6年間7,000億ルーブル配分(プーチン、2024年2月連邦議会演説)。
4. 軍事・情報戦
Meliorator(AI駆動ボットファーム)
2024年7月、米司法省・FBI・カナダ・オランダ当局合同発表。RT副編集長指揮下のFSB共同運営、2022年4月開始。2024年6月時点でX上に968件の検証済み偽アカウント。米英独蘭波西ウクライナ・イスラエルを標的。米司法省は2024年7月にドメインmlrtr.com等を差し押さえ。
Pravdaネットワーク/LLMグルーミング
仏Viginumが2024年2月発見。182ドメイン、74ヶ国、12言語。NewsGuard 2025年3月報告:「2024年に360万本の記事を生成、10のメジャーチャットボットが偽情報を33%の頻度で復唱」。DFRLab(2026年4月):Common Crawlにおけるプラウダ英語記事は2024年11月の37本→2025年11月に約40,000本に急増。
ただしHarvard Kennedy School Misinformation Review(2025年10月、Alyukov et al.)は「偽情報復唱は5%」と異なる結論を出しており、**「LLMグルーミングよりデータ空白(data voids)が主因」**と指摘。
戦場AI
LancetドローンにNVIDIA Jetsonベースの自律ターゲティングモジュール搭載が2026年3月のキーウ攻撃で確認(ウクライナ軍情報総局HUR、Kyiv Post)。構成部品の大半が西側・中国製。
5. ユーザー普及・活用状況
- Yakov and Partners調査(2024〜2025年):ロシア国民の**24%**が生成AIを個人・業務利用、**47%**が国産AIを優先。
- ChatGPTはOpenAIのIPブロックにより事実上アクセス不可。VPN経由で利用継続するIT専門層が多い。
- 政府サービス:Gosuslugi(電子政府)の「Robot Max」チャットボットが2024年にGPT機能追加。日次1,100万人訪問者。
- 医療:モスクワ放射線リファレンスセンターが市内90クリニックでAI診断運用。
- 宇宙:2025年11月27日打ち上げのSoyuz MS-28でGigaChatをISS国際宇宙ステーションに配備(TASS、2025年11月26日)。
- VK MAX:2025年にリリースされたスーパーアプリ。2025年9月1日以降、ロシアで販売されるスマートフォンへのプリインストール義務化。
6. 中国との接近・国際的位置づけ
- 2024年末プーチンが中国との協力深化を指示。Sber副CEO VedyakhinはQwen/DeepSeek/MiniMaxとのパートナーシップ優先を表明。
- 国際ランキング:Tortoise Media Global AI Index(2024年9月、83カ国)でロシアは31位。G5のうち上位にいない唯一の国。
- DeepSeekによる「低コストLLM」の証明はロシアにとっても希望材料だが、「中国・インドは制裁回避取引に慎重」(RFE/RL)であり、資源・データ規模でも中国に遠く及ばない。
7. Yandex「分裂」:Nebius Groupとの対比
- Yandex分離取引:2024年2月に475億ルーブル($5.2B)で合意、2024年7月に最終クロージング(最終的に**$5.4B相当)。ロシア資産を完全売却し、オランダ持株会社がNebius Group(NASDAQ: NBIS)**として独立。
- Nebius:フィンランドのデータセンター(75MWに拡張中)を中心にAIクラウドへ特化。2026年3月11日、NVIDIAと戦略的パートナーシップを締結、NVIDIA が20億ドルを投資し「2030年末までにNVIDIAシステム5ギガワット超のデプロイ」を目標(NVIDIA公式プレスリリース、2026年3月11日)。Q1 2026売上の98%がAIクラウド事業、ARR 19.2億ドル。
考察と展望
ロシアの生成AIは「主権」と「実力」の間に大きな乖離を抱えたまま2026年を迎えている。制裁によるGPU不足は深刻で、Sber推定9,000枚はMicrosoftの2024年単年購入485,000枚の約2%にすぎない。GigaChat 3/3.1のMoEアーキテクチャ採用はハード制約への合理的適応だが、独立ベンチマークでは中国製オープンモデル(DeepSeek、Qwen)に後れをとっている。
国産チップ(Elbrus・Baikal)はTSMC依存の断絶で機能不全に近く、Huawei Ascend系チップへの依存は「中国の供給待ち行列の最後尾」という構造的弱点を抱える。2030年の「10基スーパーコンピュータ計画」($60億規模)は公開された建設進捗がなく、実現見通しは不透明だ。
一方でGigaChatはISS宇宙ステーション搭載やVK MAXへの組み込みなど「存在感の演出」において成果を上げており、ロシア語特化タスクでは依然として一定の競争力を持つ。ロシアAIの今後の分岐点は、(1)Huawei Ascend 950PRの確実な調達、(2)2030年スパコン計画の具体化、(3)年間AI人材育成15,500人目標の達成、の3点を観察軸として評価すべきである。
情報源の注記
- ロシア政府・Sber・Yandex等の公式発表は政治的・商業的バイアスがあり、独立検証が困難。
- 独立情報源:Moscow Times、RFE/RL、Meduza、CEPA、DFRLab、The Bell等を優先参照。
- GPU保有数・ユーザー数等の数値はいずれも自己申告または推定であり、幅を持って解釈が必要。