2026年に入ってから、「フィジカルAI(Physical AI)」という言葉を目にする機会が急激に増えた。この言葉を広めたのはNVIDIAのCEO、Jensen Huangである。彼はAIの進化を「知覚AI→生成AI→エージェントAI→フィジカルAI」という4段階で整理し、フィジカルAIをその最終段階、つまり現実世界を理解し、そこで実際に行動するAIと位置づけた。CES 2025では「フィジカルAIは50兆ドル規模の製造・物流産業を変革する」とまで言い切っている。
なぜ今このタイミングでこの言葉が急浮上したのか。理由は単純で、複数の技術要素がほぼ同時に実用レベルへ到達したからだ。視覚と言語と行動を一体で扱うVLA(Vision-Language-Action)モデル、環境の未来を予測する世界モデル、大規模なシミュレーション基盤、そしてロボットの「脳」を現場で動かすエッジ半導体――これらが2025年から2026年にかけて出揃い、「派手なデモ」から「実際に稼働させる」フェーズへの移行が現実味を帯びてきた。同時に、日本を含む各国政府がこの分野に巨額の政策資金を投じ始めており、産業政策としての色合いも強くなっている。
結論を先に述べておく。現時点の競争構造は「ハードウェアの量産では中国勢が先行し、AIの汎用性では米国勢が優位に立つ」という二層構造として整理できる。市場規模の予測は、Goldman Sachsの2035年380億ドルからMorgan Stanleyの2050年5兆ドルまで、機関によって一桁以上の開きがある。つまりこの分野はまだ「確定した未来」ではなく「幅のある予測」の段階にあるということだ。本稿では、フィジカルAIという概念の整理、主要プレイヤーの動向、技術を支える要素、実際の応用領域、日本の政策・企業動向、市場予測と資金の流れ、そして今後押さえておくべきキーワードを整理する。
1. フィジカルAIとは何か
フィジカルAIという言葉に厳密な学術的定義があるわけではない。もっとも広く参照されているのはNVIDIAの整理で、「物理法則――摩擦、慣性、因果関係――を理解し、それに基づいて現実世界で知覚・推論・行動するAIシステム」を指す。ボールがどちらに転がるかを予測する、物を壊さない程度の力加減でものを掴む、車の陰から人が飛び出してくる可能性を推論する――こうした物理的な常識推論をAIに持たせ、それをロボットという「身体」に実装する、という発想である。
これは従来の産業用ロボティクスとは根本的に異なる。経済産業省の資料でも整理されているとおり、従来の産業用ロボットは、あらかじめ動作を細かくティーチング(教示)し、同じ作業を高精度に反復することを得意とする一方、事前に想定していなかった作業や非構造化環境への適応が苦手だった。フィジカルAIの発想では、基盤モデルがロボットに言語理解・常識推論・タスク計画という「脳」を与えることで、自然言語による指示や人間の動作の観察から新しいスキルを獲得できるようになる。「同じ作業を正確に繰り返す機械」から「予測不能な現実世界で判断しながら動く存在」への転換、というのが最も本質的な違いだ。
関連する概念も整理しておきたい。「Embodied AI(身体性AI、中国語圏では具身智能)」は身体を持つ知能全般を指す広い言葉で、フィジカルAIとほぼ同じ文脈で使われる。「世界モデル(World Model)」は環境の未来状態を予測・生成するニューラルネットワークで、NVIDIA Cosmosがその代表例だ。そして「VLA(Vision-Language-Action)」は、視覚情報と言語による指示を入力として受け取り、ロボットの具体的な動作を出力するモデルで、Googleの「RT-2」(2023年)を先駆けとして、OpenVLA、Physical Intelligenceのπ0、NVIDIAのGR00T、FigureのHelix、Google DeepMindのGemini Roboticsなど、各社が競って開発している。多くのVLAは「遅い思考(曖昧な指示を段階的な計画に変換するVLM)」と「速い動作(実際の関節を動かすアクションエキスパート)」の二層構造を採っている点に特徴がある。
2. 主要プレイヤーの動向
この分野の構図は「プラットフォーマーとしてのNVIDIA」「垂直統合を進める米国スタートアップ群」「基盤モデルに専念する研究者スタートアップ」「量産で先行する中国勢」に大別できる。それぞれ見ていく。
NVIDIAは、学習・シミュレーション・実行の三層すべてでロボティクスのインフラを提供しようとしている。2024年3月のGTCで「Project GR00T」としてヒューマノイド向け基盤モデル構想を打ち出して以来、Isaac GR00Tとしてオープンな基盤モデルの開発を継続している。ハードウェア面では、2025年8月25日にエッジAI向けの「Jetson AGX Thor」の量産モジュールと開発キットを一般提供開始した。Blackwell世代のGPUを採用し、最大2,070 FP4テラフロップスの演算性能と128GBのメモリを備え、消費電力は40〜130Wに収まる。開発キットは3,499ドルで、Boston DynamicsやFigure、Amazon Roboticsなどが採用している。ソフトウェア面では、世界の物理現象を学習した基盤モデル群「Cosmos」と、ロボット・工場全体のデジタルツインを構築する「Omniverse」を組み合わせ、大量の合成データを生成する仕組みを提供している。
Teslaの「Optimus」は、現行のGen 3が中核だ。2026年3月末には歩行の様子が確認され、50個のアクチュエータと22自由度を持つハンドは「量産を前提にした初めての設計」とマスク氏が説明している。Fremont工場の旧Model S/Xラインを転用したGen 3量産は2026年後半(夏〜秋)に開始予定とされ、専用工場となるGiga Texasでの本格量産は2027年の見込みだ。ただし2025年に掲げた出荷目標(5,000台)に対し、実際の出荷は数百台にとどまり、9割以上未達だったとされる。量産時の目標コストは2万〜3万ドルとされている。
Figure AIは、2025年10月に第3世代機「Figure 03」を発表した。身長約173cm、体重61kg、可搬重量20kg、移動速度1.2m/s、16自由度のハンドを持ち、無線給電に対応する。自社開発のVLA「Helix」を搭載し、OpenAIとのパートナーシップ終了後は完全に自社技術として運用している。BMWのスパルタンバーグ工場で先代機「02」を長期間稼働させ、2025年11月にパイロットプログラムを完了したと発表している。自社工場「BotQ」での量産は加速しており、2026年4月時点で90分に1台のペースに達したとされる。資金面では2025年9月にSeries Cで10億ドル超を調達し、ポストマネー評価額は390億ドルに達した(Parkway Venture Capitalが主導、Brookfield、NVIDIA、Intel Capital、Qualcommなどが参加)。第三者推計では2025年の実出荷台数は150台程度、Figure 03の現場投入台数は2026年4月時点で350台超という報道もある。評価額390億ドルはこれから見るとかなり先行した水準であり、元従業員による安全対策縮小を巡る訴訟も報じられている点は留意しておきたい。
Physical Intelligence(通称π、パイ)は、Google DeepMindやStanford、UC Berkeley出身の研究者(Sergey Levine、Chelsea Finn、Karol Hausman、Brian Ichterなど)が2024年に設立した企業で、特定のハードウェアに依存しない「1つのモデルであらゆるロボットを動かす」戦略を掲げる。VLA基盤モデルのπ0、π0.5、Hi Robotを開発している。資金調達は急速に進んでおり、シード7,000万ドル、Series A 4億ドル(評価24億ドル)を経て、2025年11月のSeries Bで6億ドルを調達し評価額は56億ドルに達した。2026年3月には、さらに10億ドル規模・評価額110億ドル超での調達交渉が報じられたが、これは報道段階の情報であり、2026年6月時点で正式なクローズは確認されていない。
Google DeepMindは2025年3月にVLA「Gemini Robotics」を発表し、6月にはネット接続なしで動作するオンデバイス版を公開した。9月には「考えてから動く」推論能力を強化した「Gemini Robotics 1.5」と、異なる身体間でのスキル転移に対応する「Gemini Robotics 2」を発表している。Apptronik、Boston Dynamicsといったハードウェアメーカーとの提携も進めている。
Boston Dynamicsは、2026年1月5日のCESで電動版「Atlas」の製品版を発表した。56自由度、触覚センサー付きの4本指グリッパーを備え、2026年生産分はすべて親会社Hyundaiの「Robotics Metaplant Application Center(RMAC)」と、新たに提携したGoogle DeepMindに割り当て済みで、外部への供給は早くとも2027年以降になる。Hyundaiは米国に260億ドル規模の投資を計画しており、ジョージア州の工場でAtlasの稼働を2028年から開始する予定だ。公式な販売価格は公表されておらず、アナリストの推計では13万〜14.5万ドル程度とされる(一部で流布する「32万ドル」という数字は匿名情報源による上限値であり、公式価格ではない)。2025年8月には、Toyota Research Institute(TRI)との共同研究として、単一の「Large Behavior Model(LBM)」がAtlasの全身――歩行からしゃがみ、持ち上げ、物の操作まで――を一体で制御するデモンストレーションを公開しており、新しいスキルをコードを書かずに人間の実演から追加できる点を強調している。
Agility Roboticsの「Digit」は、米国系ヒューマノイドの中で実運用が最も進んでいる機種の一つだ。物流大手GXOやToyotaの工場などで、ロボットを購入するのではなくサービスとして利用する「RaaS(Robotics-as-a-Service)」モデルで稼働している。SPAC(特別買収目的会社)を通じた上場計画も報じられている。
1X Technologiesの「NEO」は、家庭向けを明確に狙った機種だ。2026年4月30日、カリフォルニア州ヘイワードに工場を開設し生産を開始したと発表した。価格は買い切りで2万ドル、またはサブスクリプションで月額499ドル。NVIDIAのJetson Thorを搭載し、Isaacでシミュレーション学習を行っている。特徴的なのは、ロボットが対応できない作業を人間のテレオペレーター(遠隔操作者)が肩代わりする設計になっている点で、これは自律化までの橋渡しとして意図的に採用されているビジネスモデルだ。ただし、2026年7月16日時点で実際の顧客宅への納品は第三者によって確認されておらず、1X自身の発表も「顧客出荷は2026年中に計画」という将来形の表現にとどまっている。工場開設と量産開始を「出荷開始」と同一視しない方がよいだろう。
中国勢は出荷台数で世界を圧倒している。調査会社Omdiaが2026年1月に公表したデータによれば、2025年の世界のヒューマノイドロボット出荷台数は13,318台(前年比約480%増)で、上海拠点のAgiBotが5,168台・シェア39%で世界1位、杭州拠点のUnitree Roboticsが4,200台・32%で2位、UBTech Roboticsが1,000台で3位となっている。ただしUnitreeは自社ベースの集計で「約5,500台で自社が1位」と主張しており、両社の順位については見解が分かれている点に注意したい。中国勢全体で世界シェアの大部分を占めている。UnitreeのG1(1.6万ドル〜)やR1(4,900ドル〜)は、これまで「不可能」とされてきた価格帯を実現しており、上海証券取引所(STAR市場)でのIPOも承認され、評価額は約62億ドルとされる。AgiBotは2026年3月30日に累計出荷1万台に到達したと発表している。ただし、Unitreeの2025年第3四半期時点の売上の7割超が研究・教育用途向けとされ、産業用途はまだ1割に満たないという指摘もあり、「出荷台数」と「実際の産業現場での稼働」は分けて評価する必要がある。
| 機種名 | 開発企業 | 地域 | 2026年8月時点の状況 | 価格・評価額の目安 |
|---|---|---|---|---|
| Optimus Gen 3 | Tesla | 米国 | Fremont工場で2026年後半〜量産開始予定。2025年目標(5,000台)は数百台にとどまり大幅未達 | 量産時目標2万〜3万ドル |
| Figure 03 | Figure AI | 米国 | BotQ工場で量産中。2026年4月時点で約90分に1台のペース | 評価額390億ドル(2025年9月、非上場) |
| Atlas(電動版) | Boston Dynamics(Hyundai傘下) | 米国 | 2026年生産分は全てHyundai RMACとGoogle DeepMindに割当済み。外部供給は2027年以降 | 公式価格非公開(アナリスト推定13万〜14.5万ドル) |
| Digit | Agility Robotics | 米国 | GXO・Toyota等で実運用中。RaaSモデルで提供 | 非公開。SPAC上場計画あり |
| NEO | 1X Technologies | 米国 | Hayward工場で2026年4月に生産開始。顧客への実出荷は7月時点で未確認 | 買い切り2万ドル、または月額499ドル |
| G1 / R1 | Unitree Robotics | 中国 | 2025年出荷4,200台で世界2位(Omdia集計)。上海証取IPO承認 | 4,900ドル〜1.6万ドル |
| Expedition A2/A3等 | AgiBot | 中国 | Omdia集計で2025年世界1位(5,168台、シェア39%)。2026年3月に累計出荷1万台到達 | 非公開 |
3. 技術を支える要素
フィジカルAIを構成する技術要素はいくつかの層に分けて整理できる。まず基盤モデル層では、視覚と言語と動作を統合するVLA(Vision-Language-Action)モデルが中心的な役割を果たす。RT-2を先駆けとして、Physical Intelligenceのπ0、NVIDIAのGR00T、FigureのHelix、Google DeepMindのGemini Roboticsなどが競合している。多くは「曖昧な指示を段階的な計画に変換する遅い思考(VLM)」と「実際に関節を動かす速い動作(拡散モデルやフローマッチングによるアクションエキスパート)」の二層構造を採用している。
次に世界モデル層では、環境の物理的な未来を予測・生成するモデルが、合成データの生成やシミュレーション、計画立案に使われる。NVIDIA Cosmosはこの「世界基盤モデル」の代表例で、arXivに公開された論文(2501.03575)では、ロボットには「自己のデジタルツイン(方策モデル)」と「世界のデジタルツイン(世界モデル)」の両方が必要だと論じられている。Yann LeCunが提唱するJEPAも、この世界モデル路線に属する。
シミュレーション層では、NVIDIA Omniverseに代表されるデジタルツイン基盤が、実機を作る前に仮想空間で大量の試行錯誤を行うことを可能にしている。川崎重工のKaleido 9の開発でも、Isaac Simを使って仮想空間上に数千体のロボットを同時に動作させ、強化学習で歩行制御を訓練しているという。仮想空間で学習した方策を実機へ移す「Sim-to-Real転移」の精度も課題の一つで、TRI×Boston Dynamicsの「zero-shot転移」(追加調整なしで実機に持ち込む)のような実証も進んでいる。
最後にハードウェア層、特にエッジ半導体が重要だ。ロボットが現場でリアルタイムに推論を行うためには、クラウドに依存しない低遅延の演算基盤が必要になる。NVIDIA Jetson Thorがこの領域の代表例で、Blackwell GPUを採用し40〜130Wの範囲で最大2,070 FP4テラフロップスを発揮する。Teslaは独自チップ(AI5)を、日本のPreferred Networksも独自のAIプロセッサ「MN-Core」シリーズを開発しており、エッジ推論の主導権争いも今後の焦点の一つになりそうだ。
4. どこで使われ始めているか
最も実装が進んでいるのは製造業と物流の現場だ。Figure AIは02モデルをBMWのスパルタンバーグ工場で稼働させ、2025年11月にパイロットプログラムを完了したと発表している。Agility RoboticsのDigitは、物流大手GXOの倉庫やToyotaの工場で実際に稼働している数少ない事例の一つだ。こうした構造化された環境――決まった作業を、決まった手順で、繰り返す現場――は、フィジカルAIが最初に価値を発揮しやすい領域とされている。「danger, dirty, dull(危険・汚い・単調)」な作業をロボットに任せるという発想も根強い。
家庭用・サービス業への展開は、まだ緒に就いたばかりだ。1X NEOが最も先行しているが、前述のとおり実際の顧客宅への納品はまだ確認されていない。日本国内でも、警備・案内向けの「ugo」や食品工場向けの「Foodly」など、限定用途での実装事例は増えているが、「一般家庭の日常的なコンパニオン」として普及するにはまだ時間がかかりそうだ。
自動運転との関係も見逃せない。Jensen Huangは自動運転を「フィジカルAIの最初の大規模商用応用」と位置づけている。世界モデルやシミュレーション技術という基盤技術は共有されているものの、実際のデータ資産は各社で分断されている。Waymoは2億マイルを超える自律走行データと独自の世界モデル、Teslaは数百万台規模のフリートから得られる走行データ、NVIDIAはCosmosの学習に使った2,000万時間超の映像データをそれぞれ抱えている。専門家の間では、「世界モデルの時代は、ChatGPTのような単一の支配的プレイヤーを生むのではなく、専有データによって堀を築いた『領域ごとのチャンピオン』が並立する構造になるのではないか」という見方も出ている。なお、Teslaは自社スーパーコンピュータ「Dojo」の開発チームを2025年8月に解散し、Samsung・NVIDIAへの依存を強める方向へ転換している。
5. 日本の動き――政策と企業連合
日本は米中に対して量産面で明確に出遅れているが、2026年に入って政策主導での巻き返しが本格化している。政府は2026年6月24日、経済財政諮問会議・成長戦略会議の合同会議で「戦略17分野」への官民投資ロードマップ案を示し、そのうちフィジカルAI(特にAIロボット)については2040年度までに官民合計10.5兆円の投資を想定していることを明らかにした。これにより2040年に世界シェア3割超・20兆円市場の獲得、経済波及効果として144.4兆円という目標を掲げている。2030年度までには1.5兆円規模の予算措置も検討されているという。
この方針を具体化する形で、経済産業省は令和8年度(2026年度)当初予算に「AIロボット・フィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデル開発事業」として3,873億円を新規計上した。2026年6月30日には、NEDOの公募を経てソフトバンク・NEC・ソニーグループ・ホンダが中心となって設立した「Noetra株式会社」と、産業技術総合研究所(産総研)が本事業の支援先に選定されたと発表されている。2030年度までの5年間で総額約1兆円規模の支援を見込む大型プロジェクトだ。目的は、現場データを守りながら国内企業が安心して使える国産マルチモーダル基盤モデルを構築すること、そしてエネルギー自給率の低い日本にとって死活的な課題であるAIの省電力化を同時に追求することにあるという。
企業の動きとしては、いくつかの異業種連合が同時並行で立ち上がっている。ソフトバンクグループは2025年10月8日、ABBグループのロボティクス事業を企業価値53.75億ドル(約8,187億円)で買収すると発表した。ABBは同事業を上場分離させる計画を撤回し、この買収に応じる形になった。従業員約7,000人・2024年売上23億ドルの事業で、取引はEU・中国・米国の規制当局の承認を経て2026年半ば〜後半にクローズする見込みとされている。孫正義氏は「SoftBankの次のフロンティアはフィジカルAIだ」と述べている。
安川電機は2025年7月1日付で、早稲田大学発のスタートアップ・東京ロボティクス(双腕・車輪型の作業ロボットを開発)を完全子会社化した。同社のヒューマノイド開発では「歩く・走る」よりも「作業力」、すなわちアクチュエータ技術の獲得が主眼だとされている。2025年10月6日の決算説明会での質疑応答によれば、安川電機は具体的な数値目標こそ開示していないものの、今後の成長市場の7〜8割は次世代機「MOTOMAN NEXT」やAI搭載の自律移動ロボットが占めると見込んでいるという。
川崎重工業は2025年12月3日、2015年から開発を続けるヒューマノイド「RHP Kaleido」の9代目となる「Kaleido 9」を国際ロボット展で公開した。前世代機に比べて脚部・腰部の頑丈さを高め、センサーを追加して自律歩行の精度を上げたほか、VRヘッドセットによる遠隔操作にも対応する。約30kgの棚を移動させるデモを披露しており、開発にはNVIDIAのIsaac Simを活用し、仮想空間上で数千体のロボットを同時に動作させて歩行の強化学習を行っているという。同社は技術ロードマップとして、2030年ごろまでに工場での簡易作業や医療・介護現場でのコミュニケーション支援、2040年ごろに機械の組み立てや高所作業といったより複雑な作業、2050年を見据えて災害現場のような予測不能で危険な環境への対応を掲げている。
富士通は2025年10月3日にNVIDIAとの戦略的協業拡大を発表して以降、複数のフィジカルAI関連技術を段階的に公開してきた。2025年12月2日に「空間の世界モデル技術」、同月24日に自社LLM「Takane」を用いたAIエージェントとフィジカルAIを連携させる「Fujitsu Kozuchi Physical AI 1.0」を発表している。続いて2026年4月23日には、ロボットと物理空間を統合する基盤ソフトウェア「Fujitsu Kozuchi Physical OS」の開発と、米カーネギーメロン大学との共同研究センター「Fujitsu-Carnegie Mellon Physical AI Research Center」の設立を同時に発表した。そして2026年7月16日には、ファナック・安川電機・川崎重工業の3社と共同で、NVIDIAの技術を取り入れた「ソブリン性を確保した協調制御基盤」の事業検討を開始すると発表している。異なるメーカーのロボット同士を連携させ、業務アプリケーションとロボット制御をシームレスにつなぐことを狙う枠組みで、まず2026年9月に富士通の笠島工場(石川県かほく市)で試験運用を始め、年内にVer1として各社に展開、2027年にVer2をリリースする計画とされている。この分野では、ソフトバンク×安川電機によるAI-RANを活用したロボット統合制御の実証や、NVIDIAとToyotaによる協業拡大なども同時期に発表されており、日本の主要メーカーが一斉にこの領域へ動き始めた年と位置づけられそうだ。
純国産ヒューマノイド開発を掲げる産学連合も動いている。2025年7月、早稲田大学、テムザック(京都)、村田製作所、SREホールディングスが中心となり「京都ヒューマノイドアソシエーション(KyoHA)」を設立した。その後マブチモーター、カヤバ、NOK、ヒーハイスト、沖縄科学技術大学院大学(OIST)が参画している。理事長は早稲田大学ヒューマノイド研究所長の高西淳夫氏、開発の全体構想・試作・検証をリードするのはテムザック代表取締役議長の高本陽一氏だ。ロードマップとしては、2025年内から初期プロトタイプの製作に着手し、2026年3月までに技術課題抽出のための試作機を完成させる計画で、2026年4月28日には第一弾の検証機「SEIMEI」の完成が第一次報告会で発表されている。その後、2026年末をめどに災害対応向けの「パワー重視モデル」と、研究開発向けの「俊敏性重視モデル」を開発し、2027年をめどに量産体制を確立、2029年3月までに量産モデルの完成を目指すとされている。米中の主要プレイヤーが2025年から量産に入っていることを踏まえると、市場投入は2〜3年ほど遅れる可能性が高い。
6. 市場予測と資金の動き
市場規模の予測は、機関によって大きく異なる。もっとも慎重な部類に入るのがGoldman Sachsで、2024年1月のレポートで、ヒューマノイドロボットの総市場規模(TAM)を2035年に380億ドルと見積もっている(強気シナリオでは1,540億ドル)。この予測の前提には、部材コストが40%減少するという見通しと、出荷台数が140万台規模まで拡大するという想定がある。対照的に強気なのがMorgan Stanleyで、2025年4月のレポートでヒューマノイド市場(ハードウェア単体)を2050年に4.7兆ドル、これに部品供給網や修理・保守サービスを加えた総額を5兆ドルと予測している。稼働台数は約10億台、1台あたりの単価は2024年の約20万ドルから2050年には5万ドル程度まで下がると見込んでいる。商用調査会社のMarketsandMarketsは、より近い将来の数字として2026年に54.1億ドル、2035年に502.7億ドル(年平均成長率28.1%)という予測を出している。
これらの数字が示すとおり、市場規模の予測は集計対象(ハードウェアのみか、ソフトウェア・サービスまで含めるか)によって大きく変わる。2035年時点の予測だけを比べても、最も慎重な数字と最も強気な数字の間には数十倍の開きがある。特定の予測値を「市場のコンセンサス」として扱うのは避けたほうがよいだろう。
| 発表機関 | 対象 | 予測数値 | 前提・備考 |
|---|---|---|---|
| Goldman Sachs(2024年1月) | ヒューマノイドTAM | 2035年380億ドル(強気1,540億ドル) | 出荷140万台、部材コスト40%減が前提 |
| Morgan Stanley(2025年4月) | ヒューマノイド市場全体 | 2050年5兆ドル(ハード単体4.7兆ドル) | 稼働台数約10億台、単価は20万→5万ドルへ低下。5兆ドルは供給網・保守サービス込み |
| MarketsandMarkets | ヒューマノイド市場 | 2026年54.1億ドル→2035年502.7億ドル | 年平均成長率(CAGR)28.1% |
| Omdia(2026年1月) | 世界出荷台数(実績・予測) | 2025年13,318台→2035年260万台 | 2025年実績は前年比約480%増 |
資金調達の面では、2025年から2026年にかけて主要企業への投資が加速している。Figure AIは前述のとおり評価額390億ドル、Physical Intelligenceは56億ドル(さらなる調達交渉は未クローズ)に達している。Apptronikは2026年2月にSeries A-Xで5.2億ドルを調達し、評価額は約53億ドルとされる。世界のロボティクス関連の資金調達額は2025年通年で138億ドルに達したとされ、Amazon、NVIDIA、Google、SoftBank、Mercedes-Benzといった事業会社が有力な出資者として名を連ねている。
7. 課題とリスク
技術的な課題として最も大きいのは、汎用性と器用さだ。曲面や不定形の物体を安定して掴む、長時間にわたるタスクをこなす、想定外の非構造化環境に適応する――こうした能力は依然として発展途上にある。派手なデモの多くは、まだ「実演(demonstration)」の域を出ていないという指摘も専門家から出ている。コストの問題も大きく、現状では1台あたり10万〜25万ドル程度の水準にあり、これが2万〜3万ドルまで下がれば、高頻度タスクでの投資回収期間が数か月単位まで短縮されるとみられている。
安全規格の整備も途上にある。人間と同じ空間で稼働するヒューマノイドロボットに特化した国際安全規格「ISO 25785-1」は、2025年5月にワーキングドラフトが公開されたが、2026年8月時点でも正式発行には至っていない。ISO技術委員会TC299のもとで作業が進められており、米国側の代表にはBoston DynamicsのFederico Vicentini氏、Agility RoboticsのKevin Reese氏(プロジェクトリーダー)、業界団体A3のCarole Franklin氏が名を連ねている。2025年10月にはバルセロナで作業部会が開催されており、正式発行は2026年または2027年になる見込みとされる。それまでの間、メーカーは既存の産業用ロボット向け規格(ISO 10218など)を可能な範囲で援用しながら安全性を担保している状況だ。「動的に安定を保つ(actively controlled stability)」機構を持つロボット――二足歩行だけでなく四足やホイール型のバランス型ロボットも含む――は、電源が失われると倒れる可能性があるという特有のリスクを抱えており、この規格ではその点への対応が焦点の一つになっている。
労働市場への影響については、まだ定量的に確立した見方はない。ヒューマノイドロボット単独が雇用にどの程度の影響を与えるかという信頼できる推計は、現時点では存在しないと言ってよいだろう。国際労働機関(ILO)などは、単純な「代替」よりも「変革(transformation)」の要素が大きいという見方を示しているが、この議論はまだ発展途上にある。
8. 今後押さえておきたいキーワード集
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| Physical AI(フィジカルAI) | 物理法則を理解し、現実世界で知覚・推論・行動するAI。NVIDIAのJensen Huangが提唱した整理では、生成AI・エージェントAIに続くAI進化の最終段階に位置づけられる。 |
| Embodied AI(身体性AI/具身智能) | 身体を持つ知能全般を指す語。フィジカルAIとほぼ同じ文脈で使われる。 |
| VLA(Vision-Language-Action) | 視覚情報と言語指示を入力とし、ロボットの動作を出力する統合モデル。ロボット基盤モデルの中核をなす技術。 |
| World Model(世界モデル) | 環境の物理的な未来状態を予測・生成するモデル。合成データ生成や行動計画に用いられる。NVIDIA Cosmosが代表例。 |
| LBM(Large Behavior Model) | ロボットの行動を予測・実行する大規模モデル。Toyota Research InstituteとBoston Dynamicsが共同で提唱・実証した概念。 |
| Sim-to-Real(シム・トゥ・リアル) | シミュレーション環境で学習した制御方策を、実機に転移させる技術。追加調整なしで転移する「zero-shot転移」が理想とされる。 |
| Digital Twin(デジタルツイン) | 現実空間の状態を仮想空間上に再現したもの。NVIDIA Omniverseなどが代表的なプラットフォーム。 |
| Isaac GR00T | NVIDIAが開発するヒューマノイド向けのオープンな基盤モデル・開発基盤。2024年3月に「Project GR00T」として構想が発表された。 |
| Jetson Thor | NVIDIAのロボット向けエッジAIモジュール。Blackwell GPUを採用し、最大2,070 FP4テラフロップスの演算性能を持つ。 |
| π0(Pi-Zero) | Physical Intelligenceが開発するVLA基盤モデル。特定のハードウェアに依存しない汎用性を志向する。 |
| Helix | Figure AIが自社開発するVLA。 |
| Gemini Robotics | Google DeepMindが開発するVLA・推論モデル群。オンデバイス版や身体横断学習に対応するバージョンも公開されている。 |
| RaaS(Robotics-as-a-Service) | ロボットを購入せず、サービスとして利用するビジネスモデル。Agility RoboticsのDigitなどで採用されている。 |
| ISO 25785-1 | 動的に安定を保つ産業用モバイルロボット(ヒューマノイドを含む)を対象とした安全規格。2025年5月にワーキングドラフト公開、2026年8月時点で正式発行前。 |
| ソブリン性(Sovereign AI文脈) | 国家や組織が自らのデータ・AI基盤について必要な管理権を確保するという考え方。生成AI分野でNVIDIAが提唱してきた概念が、フィジカルAI領域にも波及している。 |
| KyoHA(京都ヒューマノイドアソシエーション) | 早稲田大学・テムザック・村田製作所などが中心となる、純国産ヒューマノイド開発を掲げる産学連合。 |
まとめ
フィジカルAIをめぐる現状を一言でまとめるなら、「技術的な収束は明確に起きているが、事業としての実証はまだこれから」という段階にある。VLA・世界モデル・シミュレーション・エッジ半導体という要素技術は出揃い、NVIDIAというプラットフォーマーを軸に急速に整備が進んでいる。一方で、出荷台数のトップを走る中国勢の実態は研究・教育用途が中心であり、評価額で先行する米国スタートアップの多くはまだ数百台規模の実出荷にとどまっている。派手な発表と実際の稼働実績の間には、依然として大きな距離があると見ておいた方がよい。
日本にとっての焦点は、この分野で量産のスピード競争に加わるのではなく、政策資金と異業種連合を通じて「現場データの主権」や「協調制御基盤」といった別の軸で存在感を示せるかどうかにありそうだ。経産省の3,873億円規模の国産基盤モデル事業、富士通・ファナック・安川電機・川崎重工の協調制御基盤構想、KyoHAの純国産ヒューマノイド開発――いずれも2026年後半から2027年にかけて最初の成果が問われる局面を迎える。当面は、各社の「量産計画」がどこまで実際の出荷実績に転換されるか、そして安全規格やソブリン性をめぐる制度設計がどう固まっていくかを、継続的に追っていく必要があるだろう。
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