2025年3月31日、内閣府の南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループが約13年ぶりに被害想定を全面改定した。最大クラスの地震が発生した場合、直接死は最大29万8000人、経済被害は約292兆円に達するという、日本社会がこれまで経験したことのない規模の災害想定である。
本稿では、この新想定を踏まえ、データセンター・クラウド基盤、通信インフラ、企業のBCP、政府系システムという4つの切り口から、南海トラフ巨大地震がITシステムに与える影響を整理する。エンジニア・IT企画担当者が自組織の防災設計を見直す際の参考になれば幸いである。
1. 2025年新被害想定の要点
新想定の最大の特徴は、2012〜2013年の前回想定から死者数(前回32万3000人→今回29万8000人、約1割減)が若干改善した一方で、経済被害額(前回約220兆円→今回約292兆円)は建設費高騰や被害評価手法の高精度化により大幅に増加した点である。また今回初めて、避難生活に伴う体調悪化等で生じる「災害関連死」を試算し、2万6000〜5万2000人という数字が示された。これは直接死とは別枠のカウントであり、両者を合算した報道も見られるため注意が必要である。
| 項目 | 2012〜2013年想定(前回) | 2025年3月新想定 |
|---|---|---|
| 死者数(直接死・最大) | 約32万3000人 | 約29万8000人 |
| 災害関連死 | 試算なし | 2万6000〜5万2000人(今回初試算) |
| 経済被害額 | 約220兆3000億円 | 約292兆3000億円 |
| 震度7の市町村数 | 143市町村 | 149市町村 |
| 停電(最大) | - | 最大約2950万軒 |
| 断水(最大) | - | 最大約3690万人 |
なお、南海トラフ地震の30年以内発生確率については、2025年1月時点で「80%程度」とされていたが、その後、政府の地震調査委員会が不確実性を考慮した見直しを行い、2025年9月には「60〜90%程度以上」(算出方法によっては「20〜50%」という幅も存在)という表現に改められている。ブログや資料で「80%」という数字を引用する際は、この見直しの経緯を併記するのが望ましい。
2. データセンター・クラウド基盤への影響
2-1. 東京圏・大阪圏への一極集中という構造的リスク
総務省・経済産業省の有識者会合資料によれば、国内データセンターはサーバー面積ベースで約150万平方メートル(東京ドーム約30個分)存在するが、その8割強が東京圏・大阪圏に集中しており、この傾向は今後も続く見込みとされている。資料によって関東6割強・関西2割強程度という内訳も示されており、合計すると8〜9割が東京・大阪の2大都市圏に偏っている状況である。
この一極集中の背景には、インターネットサービスプロバイダーが相互接続を行うIX(インターネットエクスチェンジ)拠点が東京・大手町と大阪・堂島に集中しているという事情がある。IX接続数は関東が7割前後、関西が2割前後を占めるとされ、通信の遅延(レイテンシ)を抑えるためにデータセンターもこの2拠点周辺に立地する構造が続いてきた。
ここで重要なのは、南海トラフの想定震源域が静岡から九州にかけての太平洋沿岸に広がっており、大阪圏はこの震源域にきわめて近いという点である。新想定でも大阪府内の広い範囲で震度6弱以上、沿岸部では津波被害が想定されている。つまり「東京と大阪の2拠点に分散していればBCP的に安全」という従来の発想は、南海トラフ地震に関しては必ずしも成立しない。東京は首都直下地震、大阪は南海トラフ地震という異なる災害リスクにそれぞれ晒されているが、南海トラフが「全割れ」パターンで発生した場合、大阪圏のリスクは東京圏よりも直接的に高くなる可能性がある。
2-2. 主要クラウド事業者のリージョン構成
| 事業者 | 国内リージョン構成 | 備考 |
|---|---|---|
| AWS | 東京・大阪 | ガバメントクラウドでも東京・大阪に限定 |
| Microsoft Azure | 東日本(東京・埼玉)・西日本(大阪) | ガバメントクラウド認定 |
| Google Cloud | 東京・大阪 | ガバメントクラウド認定 |
| Oracle Cloud(OCI) | 東京・大阪 | ガバメントクラウド認定 |
| FJcloud-V(富士通) | 東日本4リージョン・西日本2リージョン | 北米リージョン(us-east-1)は2025年9月30日にサービス提供終了、現在は国内6リージョン構成 |
| さくらインターネット | 石狩(北海道)・東京 | 2026年3月27日にガバメントクラウド正式認定。国産クラウドとして唯一かつ5番目の認定事業者 |
見ての通り、政府認定クラウドはAWS・Azure・Google Cloud・OCIの4社に加え、2026年3月27日にさくらインターネットの「さくらのクラウド」が正式認定を受け、5社体制となった。国産クラウドとしては唯一の存在であり、外資系4社が軒並み東京・大阪の2拠点構成であるのに対し、さくらインターネットは石狩(北海道)と東京という組み合わせを取っている点が構造的に異なる。
外資系4クラウドの東京・大阪2拠点構成は、通信遅延やデータ主権要件を満たす現実的な選択ではあるが、前述の通り大阪が南海トラフの震源域に近接している以上、「東京・大阪の2リージョン運用=広域災害対策として十分」とは言い切れない構造である。その意味で、震源域から遠い石狩を含むさくらインターネットの構成は、南海トラフ地震という単一災害シナリオに対する耐性という観点では、外資系4社の東京・大阪構成よりもむしろ有利に働く可能性がある点は付記しておきたい(ただし、石狩・東京の組み合わせは首都直下地震と北海道地震という別の複合リスクを内包する点には留意が必要である)。
2-3. ガバメントクラウドの地理分散要件
この課題は政府側も認識しており、デジタル庁が公表しているガバメントクラウド調達仕様書(令和8年度募集分)には、データセンターは地理的に離れた日本国内の複数の地域(例えば、関東と関西、北海道と関東、関西と九州など)に設置するなど、大規模地震や電力供給障害を想定した災害対策を講じることという要件が明記されている。「関東と関西」だけでなく「北海道と関東」「関西と九州」という組み合わせも例示されている点は重要で、南海トラフの震源域から離れた北海道・九州を含めた分散が政府調達レベルでは想定され始めていることを示している。
実際の事例として、ガバメントクラウド先行事業に採択された神戸市では、東京リージョンと大阪リージョンの間でDR環境を構築した例が報告されている。ただし、これも本質的には「東京・大阪の2点間分散」であり、南海トラフの全割れシナリオに対する耐性という観点では、北海道・九州など震源域から十分離れた第三のリージョンを組み合わせる設計が今後より重要になると考えられる。
3. 通信インフラへの影響
3-1. 海底ケーブル陸揚局の太平洋側集中
総務省資料によれば、国際海底ケーブルの陸揚局は約5割が関東(房総半島・北茨城)、約3割が関西(志摩半島)に集中している。志摩半島は三重県、まさに南海トラフの想定震源域の直上に位置する。南海トラフ地震で志摩半島周辺の陸揚局が被災した場合、国際通信の分岐点としての機能が損なわれるリスクがあり、国内のインターネット接続全体への波及も懸念される。政府はこのリスクを踏まえ、国際海底ケーブルの多ルート化や陸揚局の分散を「デジタル田園都市国家インフラ整備計画」の一環として進めている。
3-2. 過去の大規模災害から見える通信インフラの限界
東日本大震災(2011年)では、非常用電源の枯渇等により通信各社合計で約2万9000の基地局が停波した。復旧には約1カ月半を要し、4月末時点でようやく福島第一原発周辺の対応困難エリアを除きほぼ復旧した。音声通話については輻輳対策としてNTTドコモ・KDDI・ソフトバンクの主要3社が最大70〜95%の通信規制を実施している。
北海道胆振東部地震(2018年)では、日本初となる全域停電(ブラックアウト)が発生し、約6500基地局が停波、停電は最大295万戸に及んだ。北海道電力の全域停電は約64時間後まで続いた。この際、さくらインターネットの石狩データセンターは非常用発電機で稼働を継続したものの、商用電源喪失を検知して非常用電源へ切り替える制御回路が正常に作動せず、一部ゾーンのサーバーが約5時間停止するというトラブルも発生している。自家発電設備を備えていても、切替機構そのものの信頼性検証(実負荷試験等)が欠かせないことを示す実例といえる。
両震災に共通する教訓は、①非常用電源の燃料備蓄量(東日本大震災当時は基地局の電源容量が不足し長時間停電に耐えられなかった)、②電源切替機構の信頼性、③通信規制による輻輳回避と業務影響の両立、の3点に集約される。NECや富士通のデータセンターが胆振東部地震で72時間分の燃料備蓄により無停止運用を実現した実績は、南海トラフ地震のような広域・長期停電(新想定では電柱被害による停電復旧に1〜2週間を要すると想定)に対しては、72時間備蓄でも不十分となり得ることを示唆している。燃料の追加供給契約や自治体・自衛隊との連携も含めた計画が必要である。
4. 企業のBCP・事業継続への影響
新想定では、停電の復旧について、需給バランスに起因するものは数日で復旧する一方、電柱等の設備被害による停電は復旧までに約1〜2週間を要するとされている。断水についても、東海3県で復旧率95%に達するまで約8週間かかるとの想定である。IT部門がBCPを検討する上では、「停電=数日で復旧する」という楽観的な前提ではなく、地域によっては1〜2週間規模の長期停電・断水を前提とした計画が必要になる。
また、南海トラフ沿岸には製造業・小売業が集積しており、新想定でも生産・サービス低下に伴う被害は45兆4000億円と見積もられている。サプライチェーンの寸断は、直接被災していない地域の企業にとっても、部材調達・物流の停止という形でIT基盤以外の側面からも事業継続に影響を与える点に留意したい。
5. 政府系システムへの影響
政府は2025年度末までに地方自治体の基幹システムをガバメントクラウドへ移行する方針を掲げてきたが、令和7年12月末時点で標準化対象約3万4592システムのうち特定移行支援システムに該当する見込みは約26%にとどまっており、移行は依然として進行中の段階にある。南海トラフ地震が今後30年以内に高い確率で発生し得ることを踏まえると、移行完了前の過渡期における自治体システムの災害耐性(オンプレミス環境の耐震性、ガバメントクラウドへの接続経路の冗長性等)も論点となる。
ガバメントクラウドの調達仕様書に明記された地理分散要件(前述)は、今後の自治体システム設計における重要な指針になる。特に、東京・大阪の2点間DRだけでなく、震源域から離れた北海道・九州を組み合わせた構成が推奨される方向性がうかがえる。
6. IT視点での対策の方向性
- 3拠点以上への地理分散:東京・大阪の2リージョン運用に加え、震源域から離れた北海道・九州リージョンを組み合わせた3-2-1的なバックアップ設計を検討する。
- 長期停電を前提とした電源設計:72時間の自家発電備蓄を基本としつつ、新想定が示す1〜2週間規模の停電復旧期間を踏まえ、追加燃料供給契約や複数系統からの調達を確保する。
- 電源切替機構の実負荷試験:胆振東部地震の教訓として、UPS・自家発電への自動切替回路そのものの定期的な実負荷試験を行う。
- RPO/RTOの数値化と定期的な検証:「クラウドだから大丈夫」という前提を避け、復旧目標時点(RPO)・目標時間(RTO)を具体的な数値で定義し、実際のフェイルオーバー訓練で検証する。
- 通信手段の多重化:衛星通信(Starlink等)や複数キャリア回線の併用により、特定地域の基地局・海底ケーブル陸揚局の被災に備える。
まとめ
2025年の新被害想定は、死者数こそ微減したものの、経済被害額の増加や災害関連死の新規試算など、南海トラフ巨大地震の深刻さを改めて示すものとなった。ITシステムの観点で特に注意すべきは、国内データセンターの8割強、そして政府認定クラウドのうち外資系4社の国内リージョンが東京・大阪の2拠点に集中している一方、大阪が南海トラフの震源域にきわめて近いという構造的な脆弱性である。2026年3月に正式認定された国産唯一のさくらインターネットが石狩・東京という異なる組み合わせを取っている点は、分散の選択肢として注目に値する。ガバメントクラウドの調達仕様に見られるように、政府側でも北海道・九州を含めた分散の重要性が認識され始めている。「東京・大阪2拠点分散=十分な災害対策」という従来の常識を見直し、震源域から十分離れた第三・第四の拠点を組み込んだ設計へと移行することが、今後のIT防災における重要な論点になるだろう。
参考文献・出典
- 内閣府 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ「南海トラフ巨大地震 最大クラス地震における被害想定について」(2025年3月31日)
- 内閣府 中央防災会議「南海トラフ巨大地震対策について(報告書)」(令和7年3月)
- 総務省・経済産業省「デジタルインフラ(DC等)整備に関する有識者会合」事務局説明資料(2024年5月)
- 内閣官房 GX実現に向けた専門家ワーキンググループ(第8回)「データセンター等のデジタルインフラ整備の現状と課題について」(2024年10月)
- デジタル庁「デジタル庁におけるガバメントクラウド等の整備のためのクラウドサービスの提供-令和8年度募集-調達仕様書」
- 総務省北海道総合通信局「平成30年北海道胆振東部地震・ブラックアウト 通信・放送の被害状況と当局の対応」(2019年1月)
- 参議院 総務委員会調査室「東日本大震災における情報通信分野の主な取組」
- さくらインターネット「石狩データセンター10周年-挑戦の軌跡-」
- 日経クロステック「データセンターと通信への影響、北海道地震で生かされた経験」
- さくらインターネット株式会社「令和5年度および令和8年度 ガバメントクラウドサービス提供事業者に採択」(2026年3月27日)
- ITmedia NEWS「さくらインターネットのクラウドサービス、ガバメントクラウド正式認定 技術要件満たす」(2026年3月27日)
- FJcloud-V「北米リージョン(us-east-1)の提供終了について」
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