金曜日, 8月 28, 2026

気象予報AIは何を変え、何を変えなかったのか — 現業化2年目の到達点と限界

「AIは天気予報を置き換えるのか」。2023年頃までは仮定の話でした。2026年8月の今、それは仮定ではありません。ヨーロッパ中期予報センター(ECMWF)はAIモデルを24時間365日の本番運用に使っています。米国立ハリケーンセンターは2025年のハリケーンシーズンで、Google DeepMindのAIモデルを実際の予報作業に投入しました。NVIDIAは気象AIのソフトウェア一式を無償公開しています。

ただ、問いの立て方を変えたほうがよさそうです。「置き換わるか」ではなく「どこが置き換わり、どこが置き換わらないのか」。ベンチマークの点数だけ見ればAIは強い。しかし気象庁が同じ条件で検証すると、台風の進む方向はよく当たる一方、台風の強さは決まって弱めに出て、強い雨のピークは再現されない。得意と不得意がくっきり分かれています。

結論を先に書きます。しばらくの間、AIモデルと従来型モデルは併存します。世界気象機関(WMO)も2025年10月に「AIは既存の手法を補完するものであって、置き換えるものではない」という立場を明確にしました。ただし併存は現状維持という意味ではありません。今のAIは出発点となるデータを従来型モデルに頼っています。その依存を断ち切る研究がすでに動いており、そこが崩れたときに構図が変わります。

本記事は2026年8月時点の公開情報に基づきます。数値には出典と時点を付しました。第9節の将来見通しは筆者の推定であり、確定的な予測ではありません。AIモデルの精度に関する主張のうち、開発元自身による評価にはその旨を明記しています。

1. 先に用語を4つだけ

この分野は用語が多いので、本文で繰り返し出てくる4つだけ先に押さえておきます。

数値予報/大気の運動を物理の方程式で解いて未来を計算する、従来からの天気予報の方式。地球を細かい格子に区切り、スーパーコンピュータで一歩ずつ時間を進めます。本記事では「物理モデル」とも呼びます。

初期値とデータ同化/計算の出発点となる「今の大気の状態」が初期値です。観測データだけでは地球全体を埋められないので、直前の予報結果を観測で補正して作ります。この作業がデータ同化です。今のAIモデルは、この初期値を物理モデル側から受け取っています。ここが本記事の重要な論点になります。

アンサンブル予報/初期値をわずかにずらした計算を何十通りも走らせ、結果のばらつきから「どのくらい確からしいか」を見る方法。1本だけ計算するのが決定論予報です。「降水確率60%」のような情報はアンサンブルから作られます。

再解析データ(ERA5)/過去数十年分の観測を、現在の技術で一貫した方式に作り直した大気のデータセット。ECMWFのERA5が事実上の標準で、ほとんどのAI気象モデルはこれを教材にして学習しています。

2. 結論の要約 — AIの得意と不得意

詳しい根拠は第4節以降で示しますが、全体像を先に置きます。

評価 項目 中身
得意 大きなスケールの大気の流れ 高気圧・低気圧・偏西風といった数百km規模の場は、従来モデルと同等以上に再現する
得意 台風がどこへ進むか 気象庁の検証で3日先の進路誤差が約20%改善。従来モデルの弱点だった「北に寄せすぎる」癖も出にくい
得意 計算の速さと安さ GPU1枚で全球11日予測が数分。同じ粗さの従来モデルはCPU10コアで約33分かかる
苦手 台風がどのくらい強いか 中心気圧を一貫して約15hPa浅く(=弱く)予測する。教材のERA5が台風を弱く表現しているため
苦手 激しい雨・局地的な現象 雨のピークが出ず、降水域がぼんやり広がる。線状降水帯のような現象とは相性が悪い
苦手 物理としての辻褄 気圧の等値線が細かく波打つなど、物理モデルには現れない不自然さが出ることがある
構造的な制約 出発点を自前で作れない 初期値も教材データも物理モデルの産物。AIは物理モデルの上に乗っている

得意と苦手の分かれ目は、はっきりしています。広い範囲でなだらかに変わるものは得意、狭い範囲で激しく変わるものは苦手です。そしてこれは、AIモデルが学んだ教材(ERA5)の細かさが約30km相当であることに由来します。モデルを大きくすれば解決する、という種類の問題ではありません。

3. 2025〜2026年に何が起きたか

この2年で起きたのは、新技術の発表というより「本番投入」と「無償公開」でした。主要な動きを順に見ます。

ECMWFが最初の一歩を踏み出しました。1本だけ計算する決定論版「AIFS Single」を2025年2月25日に本番運用へ移し、続いて51通りを計算するアンサンブル版「AIFS ENS」を2025年7月1日に本番化しました。ECMWFの発表によれば、地上気温をはじめ多くの指標で従来のアンサンブルを最大20%上回っています。

ただし解像度は31kmで、従来型アンサンブルの9kmに及びません。ECMWF自身が、細かい場の表現や大気と海洋を結びつけた計算には物理モデルが依然として欠かせない、だから両者を組み合わせるハイブリッドを検討している、と述べています。速度面では、従来手法に対して10倍以上速く、消費電力は約1000分の1という数字を出しました。

Google DeepMindは2025年11月17日にWeatherNext 2を発表しました。TPU1枚で1分未満に数百通りのシナリオを作れます。ここで注意したいのが、公式ブログの「99.9%の変数とリードタイムで上回る」という数字です。これはひとつ前の自社モデルとの比較であって、物理モデルとの比較ではありません。「8倍速い」も同じく前世代比です。技術的な裏付けはarXivのプレプリント(2506.10772、2025年6月12日投稿)で、査読は通っていません。

台風に特化したモデルでは、査読済みの成果が出ました。WeatherNext Cyclonesの論文が2026年8月6日にNature誌へ掲載されています(doi: 10.1038/s41586-026-10953-2)。米国立ハリケーンセンター、CIRA、英気象庁が共著に入っており、開発元の自称ではない点が重要です。2023〜2025年の台風・ハリケーンを対象に、進路・強度・風の広がりのいずれでも既存の現業モデルより平均1日以上早く同じ精度に到達した、というのが主張の骨子です。

特筆すべきは入力の粗さです。28km四方という粗い入力でこの結果を出しており、論文は「高解像度は必須の前提条件ではないことを示唆する」と述べています。台風の強度予測には従来、中心部を細かく解く専用モデルが必要とされてきたので、これは通念に反する結果です。2025年シーズンには1つの台風につき1,000通りのシナリオを計算し、ハリケーンMelissaの急速な発達とジャマイカ上陸の予測に貢献しました。Googleは同日、モデルの中身(重み)をApache 2.0ライセンスで公開しています。

MicrosoftのAuroraは2025年5月21日にNature誌へ掲載されました(Vol 641, pp.1180-1187)。100万時間を超える地球物理データで学習した13億パラメータのモデルで、天気だけでなく大気汚染、海の波、台風まで扱う「基盤モデル」という位置づけです。NVIDIAは2026年1月26日、米気象学会の年次総会でEarth-2ファミリーを発表しました。中期予報のAtlas、数時間先を予測するStormScope、そして初期値を作るHEAL-DAの3本立てです。ただしStormScopeの公開版は米国本土の衛星観測で学習したもので、日本でそのまま使えるわけではありません。

モデル 開発元 時期 特記 根拠の強さ
AIFS Single ECMWF 2025/2/25 本番化 決定論型。公開された形で24時間運用された初のAI予報モデル 公的機関の公式発表
AIFS ENS ECMWF 2025/7/1 本番化 51通り計算。解像度31km(従来型は9km)。地上気温等で最大20%改善 公的機関の公式発表
WeatherNext 2 Google DeepMind 2025/11/17 TPU1枚で1分未満に数百シナリオ。1時間刻み。2026/8に中身を公開 自社ブログ+査読前プレプリント
WeatherNext Cyclones Google DeepMind 2026/8/6 論文掲載 台風特化。入力28km・1,000通り。2025年にNHCが実運用 Nature(気象機関3者が共著)
Aurora Microsoft 2025/5/21 掲載 天気・大気質・海洋波・台風を扱う基盤モデル。学習はA100を32枚で約2.5週間 Nature 641:1180-1187
Earth-2ファミリー NVIDIA 2026/1/26 発表 中期予報・数時間予測・初期値作成の3点セット。HEAL-DAは2026年後半予定 企業の公式発表
Pangu-Weather Huawei 2023/7/5 掲載 予報間隔の異なる4モデルを組み合わせて長時間予測の誤差蓄積を抑える構成 Nature 619:533-538

4. 「AIが勝った」を疑ってみる

勝った負けたの話は、条件を確認しないと意味がありません。この分野では特に、出発点となる初期値をどう与えたかが結果を左右します。

気象庁が2025年2月に公開した報告書「AI気象モデルの利用可能性調査」が、この点を突いています。GraphCastやPangu-Weatherの原論文では、比較相手の物理モデルには当日中に作られる速報解析を与える一方、AIモデルには再解析データERA5を与えていました。ERA5は観測がすべて届くのを待ってから作られるため精度は高いのですが、実際に使えるようになるのは5日以上先です。本番では絶対に使えないデータを、AI側にだけ与えて比較していたわけです。報告書はこれを「公平でない検証になっていることに留意が必要」と明記しています。

そこで気象庁は、3つのAIモデルに自庁の全球モデルGSMの速報解析を初期値として与え、本番と同じ条件で検証しました。結果が次の表です。

検証項目 結果
台風の進路 3日先でPangu-WeatherとFourCastNetv2がGSMを約20%上回った。物理モデルの弱点だった「西進中の台風を北に寄せすぎる」癖もPangu-Weatherではほぼ見られない。ただしGraphCastは同じ改善を示さなかった
台風の強度 3モデルとも中心気圧が約+15hPaずれ、実際より弱く予測する。教材のERA5が1979年以降の台風の中心気圧を取り込んでおらず、実際より浅く表現しているのが主因
降水の表現 大まかな雨域は捉えるが、6時間50mmを超える強い雨は出せず、雨域が広がる。誤差の二乗を最小化する学習方式では「ぼかした予測」のほうが点数が良くなるため、必然的な結果と説明されている
物理としての辻褄 気圧の等値線に、物理モデルでは起きない細かい「がたつき」が出る。エネルギーの分布を波の細かさ別に見ると、細かい側で不自然に減衰したり振動したりする
日本域モデルの外枠として使う 2モデルは夏冬ともほぼ全要素で悪化。Pangu-Weatherでは大きな場は改善するが降水は横ばいか悪化。現在のメソモデルがGSMを外枠とする前提で調整されているため
ガイダンスの材料として使う 出力する要素が少なく、既存ガイダンスのうち動かせたのは風だけ。強風の予測頻度が低い。ただし複数モデルを平均するガイダンスにGraphCastを加えると全体の精度は上がった
1か月先まで延ばす 計算自体は完走するが、3〜4週目にかけて誤差が従来型アンサンブルより速く拡大。中期予報用に作られたモデルの延長には限度があると結論

物理モデル側が優位という検証も出ています。ハンガリー・デブレツェン大学の研究チームが、2025年7月から11月のAIFSとIFSのアンサンブル予報を、世界9,000か所以上の観測点の地上風速で比べました(arXiv 2606.02508、査読前)。統計処理をかける前の生の予報では、すべての予報時間で物理モデルのIFSがAIFSを実質的に上回っています。後処理をすると差は縮まりますが、短い予報時間ではやはりIFSが優位でした。地上風速は実務で最もよく使われる要素のひとつですから、この結果は軽くありません。

5. 計算コスト — 使うのは安い、作るのは高い

AIのコスト優位は本物です。ただし安いのは「使うとき」だけです。

気象庁の実測値がわかりやすいので引用します。同じ全球11日予測をするのに、3つのAIモデルはいずれもCPU 1コアとGPU 1枚(NVIDIA A100)で約120〜290秒。ファイルの読み書きを含めても5分以内です。

比較相手は2種類あります。AIモデルの出力は約28km相当なので、公平に比べるべきは同じくらい粗い低解像度版のGSM(約27km)で、こちらはCPU 10コアで約2,000秒、つまり30分強かかります。本番で動いている高解像度のGSM(約13km)はCPU 98コアで約1,150秒です。どちらと比べても、消費する計算資源は桁が違います。

一方、モデルを作る側は重い作業です。GraphCastの学習にはTPUを32枚使って4週間、Pangu-WeatherはGPU 192枚で16日、AuroraはGPU 32枚で2.5週間かかっています。気象庁がGraphCastを日本の解析データで追加学習させた試行では、一般的な基準ではごく小規模な1,000回の学習でも、GPU1枚で約35時間を要しました。

つまりAIモデルは「作るのは重いが、一度作れば軽く回せる」という構造です。だからアンサンブル予報と相性がいい。Googleが台風1つに1,000通りの計算を回せるのも、この構造があるからです。従来のスーパーコンピュータでは、メンバー数を増やすことと解像度を上げることが常にトレードオフでした。

機関 システム 稼働時期 特記
気象庁(第11世代) 富士通 PRIMERGY CX400 M7 2024/3/5 更新前の約2倍。線状降水帯予測スパコンと合わせて約4倍。データ共有環境も併設
気象庁 線状降水帯予測スーパーコンピュータ(富士通 PRIMEHPC FX1000) 2023/3/1 「富岳」と同じA64FXを採用。主系・副系の2系統で1系あたり15.5PFLOPS。当時のシステムの約2倍
理化学研究所 「富岳」 2021〜 令和3年度から気象庁の局地モデル1km化開発に活用。ゲリラ豪雨の研究にも使用
英気象庁 HPE Cray EX(Microsoft Azure上) 2025年に現業を移行 第14世代にあたる新システムの第1フェーズ。国の気象機関が本番の予報処理をパブリッククラウドに載せた事例

なお気象庁第11世代の演算性能(PFLOPS値)は公表されておらず、公開されているのは「約2倍」「約4倍」という相対値だけです。事業費は5年間で約120億円と報じられています。一方、線状降水帯予測スーパーコンピュータの理論演算性能は公表されており、この非対称は次節で触れます。

6. 日本はどこにいるのか

気象庁がAIを使い始めたのは最近の話ではありません。機械学習を使ったガイダンスの運用は1977年から、ニューラルネットワークの利用は1996年から続いています。「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」(2018年10月4日)でも、計算の高速化、誤差の補正、観測データの品質チェックといった形でAI活用が明示されています。

ただしAI全球モデルそのものを本番運用する計画は掲げられていません。2026年に実施された強化は、いずれも従来型の高解像度化でした。3月17日から局地モデル(LFM)を2kmから1kmに細かくし、翌18日からは局地アンサンブル予報システム(LEPS)の運用を始めています。どちらも「富岳」を使って開発されました。

モデル 解像度 直近の変更 主な用途
全球モデル(GSM) 約13km 2023/3/14に約20kmから細かく 台風の進路・強度予報、天気予報、週間天気予報
メソモデル(MSM) 5km 防災気象情報、降水短時間予報、航空気象情報
局地モデル(LFM) 1km 2026/3/17に2kmから細かく 局地的な大雨の可能性の把握。線状降水帯の直前予測にも活用
局地アンサンブル(LEPS) 2km・21通り 2026/3/18 運用開始 豪雨の発生を確率で捉える。1日4回、21時間先まで

AI気象モデルについては、調査と知見の蓄積という段階です。前述の報告書では、公開モデルの検証だけでなく、GraphCastを日本のデータで追加学習させる試行と、自前でAIモデルを一から作る試作まで踏み込んでいます。

追加学習の効果は明確でした。チベット高原付近の気温のずれが大きく減り、台風の中心気圧も実際に近づきます。ただし線状降水帯のような細かい現象の雨量は、依然として実況より大幅に少ないままでした。追加学習の教材にしたGSMの降水の表現力に頭打ちされている、というのが報告書の見立てです。

自作モデルのほうは、24時間予測に限定した簡素な構成です。GPU 4枚で約26時間学習させた結果、上空約5,500m付近の高度場の24時間予測誤差は8.8m。報告書自身が「最新のAI気象モデルで報告されているような精度には及ばない」と率直に書いています。業務利用のためではなく、大規模モデル特有の技術を身につけ、学習データの重要性を確かめるための試作です。

この報告書で最も示唆に富むのは、学習データについての整理です。AIモデルの解像度も精度も、教材となるデータの解像度と精度で頭打ちになる。したがって日本周辺を細かく正確に予測したいなら、解像度と精度の高い日本域の解析データが必須だと結論づけています。汎用の全球AIモデルを輸入してくるだけでは限界がある、ということです。

7. 線状降水帯 — 数字で見る現実

日本で最も注目される予測課題ですが、精度の現実は厳しいものです。

情報は3段階あります。

  • 半日前予測(2022年6月開始)/発生の半日ほど前に呼びかける。2024年5月27日から府県単位に細かくなった
  • 直前予測(2026年5月下旬開始)/発生の2〜3時間前を目標。「気象防災速報」として、県内をさらに分けた区域単位で発表される
  • 発生情報(2021年6月開始)/すでに発生していることを知らせる

肝心の的中率です。気象庁長官は2025年10月15日の会見で、同年度は10月9日時点で半日前予測を86回発表し、実際に線状降水帯が発生したのは12事例、約14%の的中率で「当初の想定よりも低くなっている」と説明しました。さらに、実際に発生した17事例のうち5事例は事前に予測情報を出せなかったとも述べています。当てにいけば空振りが多く、それでも見逃しは残るという状態です。

2026年5月下旬に始まった直前予測についても、初シーズンの実績が出ています。2026年7月15日の会見で長官は、直前予測を出してから発生までが平均60分あまりで、「2〜3時間前」という目標より短くなっていることを認めました。一方で、直前予測を出した後に3時間降水量100mmを超えた事例は29事例中25事例(約86%)だったとも説明しています。つまり線状降水帯という基準では外れていても、大雨そのものは高い確率で当たっている。長官はこれを踏まえ、情報が出たら線状降水帯かどうかにかかわらず大雨への行動をとってほしいと呼びかけました。

情報の細分化はさらに進む計画です。気象庁の資料によれば、令和11年には半日前の情報を市町村単位で把握できる危険度分布の形式で提供する予定とされています。リードタイムを延ばしつつ対象地域を狭めていく、という方向です。

ここで、この記事の主題との対比で見逃せない事実があります。日本はこの現象のために、専用のスーパーコンピュータを1台まるごと用意しました。

「線状降水帯予測スーパーコンピュータ」は2023年3月1日に稼働を始めました。予算は令和3年度の補正予算で措置されたもので、当時の長官が会見で「大変大きな額が盛り込まれた」「政府全体の決意の表れ」と述べたほど、異例の投入でした。機種は富士通のPRIMEHPC FX1000。「富岳」と同じA64FXプロセッサを採用したシステムを主系・副系の2系統構成で組み、1系あたりの理論演算性能は15.5PFLOPSです。当時運用中だったシステムの約2倍にあたります。

目的は明確でした。それまで半日前の呼びかけを判断する材料は、主に水平5kmのメソモデルの計算結果でした。しかし線状降水帯を構成しているのは個々の積乱雲であり、5kmの格子では表現しきれない。「もっと細かく解くために計算機を買う」という、身も蓋もないほど直球のアプローチです。導入時に示されたロードマップは、令和5年度末に局地モデルの予報時間を10時間から18時間へ延長、令和7年度末に水平解像度を2kmから1kmへ、というものでした。実際、1km化は2026年3月17日に実現しています。予定通りです。

さらに気象庁は、モデルの開発そのものには文部科学省・理化学研究所の協力を得て「富岳」を使い、2023年9月からは大学・研究機関と観測データの利用手法についての共同研究も始めました。専用機で現業を回し、富岳で開発を加速し、外部と組んで観測の使い方を磨く。三層構えです。

これだけの資源を投じて、半日前予測の的中率は約14%です。悲観的に読むこともできますが、筆者はむしろ逆に受け取っています。専用スパコンと最新の物理モデルを積み上げてなおこの水準だという事実が、この現象の難しさの実測値になっているからです。そして、そこにAIが横から入って一足飛びに解決する、という筋書きは今のところ見当たりません。

ここで第4節の話とつながります。現在のAI気象モデルが最も苦手としているのが、まさにこの領域なのです。強い雨のピークを出さず、雨域をぼんやり広げる特性は、線状降水帯の予測とは正面から相性が悪い。しかも気象庁の検証では、AIモデルを日本域モデルの外枠として使うと降水予測はむしろ悪化しました。日本の防災における最重要課題に対して、今のAI全球モデルはほとんど答えを持っていません。

計算資源の使い方という点でも対照的です。AIモデルの売りは「GPU1枚で数分」という軽さでした。一方、線状降水帯に対する日本の回答は、専用機を2系統立てて物理モデルを1kmで回すという、真逆に重いやり方です。安く速く回せることが価値になる問題と、どれだけ計算資源を積んでも足りない問題は、別物だということでしょう。

対照的に、台風の進路予報は着実に改善しています。気象庁が毎年公表している「台風のまとめ」から、直近2年を挙げておきます。

1日先 2日先 3日先 5日先と特記事項
2024年 72km 104km 150km 420km。2日先は1989年の発表開始以降、3日先は1997年以降で最良。5日先は台風第10号など難しい事例の影響で悪化
2025年 66km 102km 173km 449km。2日先が1989年以降で最良。4日先・5日先は台風第9号・第22号の影響で近年では悪い結果

いずれも速報値です。2日先までは改善が続く一方、4〜5日先はその年の台風の性質に振り回されます。AIが最も強みを発揮するのがこの進路予測の領域であることを考えると、気象庁がいずれAIを台風進路予報に取り込む可能性は高いと筆者は見ています。ただしこれは推定であり、気象庁が計画として公表しているものではありません。

8. 全球中期予報以外での使われ方

  • 数時間先の予測/NVIDIAのStormScopeは、衛星やレーダーの画像そのものを予測する方式で、0〜6時間の1km級予測を数分で作ります。NVIDIAは短時間降水予測で物理手法を上回った初の例だとしていますが、公開版は米国本土の衛星データで学習したものです。
  • 粗い予測を細かくする/NVIDIAのCorrDiffは、粗い予測から高解像度の場を生成します。台湾中央気象局の2kmモデルのデータで学習し、25kmの再解析データを2kmまで細かくする構成で、査読論文(Communications Earth & Environment、2025年)にもなっています。全球は粗く計算し、必要な地域だけAIで細かくするやり方は、コスト面で現実的です。
  • 一部だけ細かくするモデル/ノルウェー気象局は、特定地域だけ格子を細かくする方式のAIモデルを開発しました。31kmのERA5を43年分と、2.5kmの地域データを3.3年分組み合わせて学習しています。全球と地域を1つのモデルで扱う可能性を示した事例で、日本にも参考になる方向です。
  • ゲリラ豪雨のリアルタイム予測/理化学研究所の三好建正チームは、フェーズドアレイ気象レーダー2台と「富岳」を組み合わせ、30秒ごとに観測を取り込んで30分先までを予測する実証実験を、2025年の大阪・関西万博会場周辺で実施しました(2025年7月30日発表、NICT・防災科学技術研究所・大阪大学・Preferred Networks・エムティーアイとの共同)。これはAIモデルではなく超高頻度のデータ同化ですが、日本固有の課題については現時点でこちらのほうが実績があります。
  • 再生可能エネルギー/確率的な予報を安く大量に作れるようになったことの実務的な受益者は、風力・太陽光の発電予測と電力取引です。GoogleがWeatherNext 2の説明で「風力発電所全体の発電量」を例に挙げているのは偶然ではありません。

9. 公開の流れと、WMOの立ち位置

この分野の面白い特徴は、主要プレイヤーがモデルの中身を公開していることです。AIFS、WeatherNext 2とCyclones、Aurora、FourCastNet3、Pangu-Weatherが、いずれも何らかの形で公開されています。大規模言語モデルの世界がクローズド寄りに動いているのと対照的です。理由のひとつは、気象予報が公共財としての性格を持ち、各国の気象機関が主要な担い手であることでしょう。

制度面では、WMOが2025年10月の臨時世界気象会議で、AIを観測・データ処理・予報の基盤に統合する方針を承認しました。同時に、AIは既存の手法とインフラを補完するものであって置き換えるものではないこと、各国気象機関の権威ある役割が続くことを明記しています。オープンデータとオープンソースの重視、AIを取り込んだ新しい予報基盤戦略の策定、そして本番運用の前に厳格な検証が不可欠であることも打ち出しました。ベンダーが「AIが物理モデルを超えた」と発信する一方、国際機関は慎重な線を引いた、という構図です。

なお気象AIの市場規模については複数の調査会社が推計を出していますが、対象範囲の定義がばらばらで、年平均成長率が3%台から26%台まで開きます。意味のある比較ができないと判断して、本記事では数値の掲載を見送ります。

10. 2026〜2030年をどう見るか

ここからは筆者の推定です。公表されたロードマップに基づく部分と、そこから推し量った部分が混在しています。確定的な予測ではありません。

最大の分岐点は「初期値を自前で作れるか」です。今のAIモデルは、出発点となる初期値を物理モデルのデータ同化に頼っています。学習の教材も、物理モデルと観測を組み合わせて作られた再解析データです。この構造がある限り、AIは物理モデルの上に乗った存在にとどまります。NVIDIAのHEAL-DA(2026年後半予定)のように、観測から直接初期値を作る試みが実用水準に届けば、前提が変わります。逆に言えば、それが起きるまで「AIが物理モデルを置き換える」という話は成立しません。

ハイブリッドが現実解として定着するでしょう。ECMWF自身が両者を組み合わせる方向を明言しており、WMOの作業部会もAI・ハイブリッド・物理の比較プロジェクトを立ち上げています。AIが大きな場を、物理モデルが細かい現象と極端事象を担当する分業は、今の得意不得意の分布から見て自然な落ち着き先です。

日本にとっての鍵は、日本域の解析データです。気象庁の報告書が指摘したとおり、AIモデルの上限は教材データの上限に等しい。日本域を細かく予測したいなら、高解像度で高精度な日本域の解析データが要ります。これは全球モデルを輸入しても手に入らないものであり、逆に言えば日本が独自に価値を出せる数少ない領域でもあります。

線状降水帯は当面AIの手に負えないと見ています。市町村単位・危険度分布形式での半日前情報の提供は令和11年度が目標で、次期静止気象衛星の運用開始も同じ令和11年度予定です。この時間軸で効くのは観測の強化と物理モデルの高解像度化であって、今のかたちのAI全球モデルではありません。AIが貢献するとすれば、数時間先の予測や高解像度化、複数モデルを組み合わせるガイダンスへの追加といった、脇からの寄与になるでしょう。

まとめ

2025年から2026年にかけて、AI気象モデルは研究から本番運用へ移りました。ECMWFは決定論版とアンサンブル版の両方を24時間動かし、Google DeepMindは台風予測で査読を通した成果を出したうえでモデルを公開し、NVIDIAはソフトウェア一式をオープンソースにしました。使うときのコストが従来の数百分の一という優位は動きません。

同時に、限界もはっきりしてきました。気象庁が条件を揃えて検証したところ、台風の進路は3日先で約20%改善する一方、中心気圧は決まって15hPa弱く出て、強い雨のピークは出ず、気圧の等値線には物理モデルにはないノイズが乗る。地上風速では、後処理前の生の予報で物理モデルのほうが明確に優れているという検証もあります。これらは教材データの細かさに由来する構造的な制約であり、モデルを大きくすれば片づく話ではありません。

日本の状況は、この構図をそのまま映しています。気象庁はAI全球モデルの調査を続けつつ、本番の強化は局地モデルの1km化とアンサンブル化という従来路線で進めました。線状降水帯に至っては専用のスーパーコンピュータを1台用意し、それでも半日前予測の的中率は約14%です。AIの有無にかかわらず、この現象の予測が本質的に難しいことを示しています。

「AIが天気予報を変えた」という見出しは間違いではありません。ただし変えたのは中期の大きな流れと台風の進路であって、日本人が最も知りたい目の前の豪雨ではない。この区別が、今のところ最も実務的な理解だと思います。

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